好きな人ができた。でも告白するのが怖い。
新しい環境に飛び込みたい。でも拒絶されるのが怖い。
本当の自分を知ってもらいたい。でも嫌われるのが怖い。
いつも心の中で同じことを繰り返している。「もし傷ついたらどうしよう」
そしてその恐怖に負けて、結局何もしないまま時間だけが過ぎていく。
傷つくことへの記憶
なぜこんなにも傷つくのが怖いのだろう。
振り返ってみると、過去に深く傷ついた経験がある。友達に裏切られたこと、大切な人に拒絶されたこと、自分の気持ちを軽く扱われたこと。
その時の痛みが、今でも心の奥底に残っている。だから同じような痛みを味わいたくなくて、安全な場所から出られずにいる。
私も大学時代、ずっと片思いをしていた人がいた。でも告白する勇気がなくて、結局その人は他の人と付き合い始めた。あの時「やっぱり言わなくて良かった」と思ったけれど、同時に「もし言っていたら」という後悔も残った。
完璧な準備という幻想
傷つくのが怖い人は、しばしば「完璧な準備」を求める。
「もう少し自分磨きをしてから」 「もう少し自信をつけてから」 「もう少しタイミングを見てから」
でも、完璧な準備なんて存在しない。どんなに準備をしても、傷つく可能性はゼロにはならない。そして準備をしている間に、機会は過ぎ去ってしまう。
コミュニケーション学を学んでいた頃、こんなことを知った。「リスクを完全に回避しようとすると、同時にチャンスも回避してしまう」。安全でいることと、成長することは、しばしば相反するのだ。
傷つくことの意味を変える
でも少しずつ気づいた。傷つくことは、必ずしも悪いことではない。
傷ついた分だけ、人の痛みがわかるようになる。 失敗した分だけ、次に成功する確率が上がる。 拒絶された分だけ、本当に大切な人との出会いが鮮明になる。
傷つくことを「失敗」ではなく「経験」として捉えることができれば、その恐怖は少し和らぐ。
私も何度も心を折られそうになった。でもその度に、少しずつ強くなった気がする。完全に傷つかないわけではないけれど、立ち直るのが早くなった。
小さな一歩から始める
いきなり大きな一歩を踏み出す必要はない。
まずは、傷ついても大丈夫そうな小さなことから始めてみよう。
初対面の人に自分から挨拶してみる。 気になる人に軽い話題で話しかけてみる。 新しい趣味のサークルの見学に行ってみる。
これらは拒絶されても、そこまで深刻なダメージにはならない。でも、それらの小さな成功体験が積み重なることで、だんだんと恐怖心が薄れていく。
傷ついても大丈夫な自分を育てる
本当に大切なのは、傷つかないことではなく、傷ついても大丈夫な自分を育てること。
自分を支えてくれる友人を作る。 好きなことに打ち込んで、自分の価値を他者に依存させない。 失敗や拒絶を「人格否定」ではなく「相性の問題」として捉える。
そうやって内面の土台がしっかりしてくると、外からの風にも耐えられるようになる。
完璧でない勇気でも十分
勇気は完璧である必要はない。
震えながらでもいい、不安を抱えながらでもいい。それでも一歩前に出ることができれば、それは立派な勇気だ。
私も今でも新しいことを始める時は怖い。でも「怖いけれどやってみよう」と思えるようになった。その小さな変化が、人生を大きく変えてくれた。
傷つく権利もある
最後に、これだけは覚えておいてほしい。
あなたには傷つく権利がある。
それは悲しいことではなく、人間らしいこと。感受性豊かで、誰かを大切に思える心を持っているからこそ、傷つくことができる。
その繊細さは、あなたの弱さではなく、むしろ美しい特質なのだ。
今日の小さな勇気
今日、何か小さなことでいいから、いつもの自分なら避けてしまうことに挑戦してみよう。
エレベーターで知らない人に「お疲れさまです」と言ってみる。 好きなカフェの店員さんに「いつもありがとうございます」と伝えてみる。 SNSで気になる投稿に、いいねだけでなくコメントを残してみる。
本当に小さなことで十分。その小さな勇気が、やがて大きな変化につながっていく。
傷つくのが怖いのは当然。でも、その恐怖に支配される必要はない。
あなたは思っているよりもずっと強い。そして、傷ついてもきっと立ち直れる。
今日という日を、昨日よりも少しだけ勇敢に生きてみよう。