カレンダーを見ると、あと一週間で誕生日。
でも今年も、きっと一人で過ごすことになる。家族からのメッセージはあるかもしれないけれど、友達から「お誕生日おめでとう」と言ってもらえる予定はない。
SNSでは、みんなの誕生日投稿があふれている。友達に囲まれて笑顔でケーキを食べている写真、「今年もお祝いしてもらえて幸せ」というメッセージ。
私の誕生日は、静かに過ぎていく。
誕生日が怖くなった
子どもの頃は、誕生日が楽しみだった。
家族がケーキを用意してくれて、プレゼントをもらえて、「おめでとう」と言ってもらえる特別な日。一年に一度、自分が主役になれる日。
でも大人になるにつれて、誕生日が憂鬱になってきた。年を重ねることへの不安もあるけれど、それ以上に「誰も覚えていてくれない」という現実が辛い。
友達の誕生日はSNSで通知が来るから覚えているけれど、私の誕生日を覚えてくれている人は、果たして何人いるのだろう。
「おめでとう」の重み
「お誕生日おめでとう」
たった七文字の言葉だけれど、その重みを大人になってから知った。
その言葉は、「あなたの存在を喜んでいる」というメッセージ。「あなたが生まれてきてくれて良かった」という気持ちの表れ。「あなたのことを大切に思っている」という愛情の証。
だからこそ、その言葉を誰からももらえない誕生日は、自分の存在価値を疑ってしまう日になってしまう。
私も大学時代、一人で誕生日を過ごした年があった。研究で忙しく、友達との関係も疎遠になっていた時期。コンビニでケーキを買って、一人でローソクを吹き消した。そのとき、涙が止まらなかった。
みんなも実は一人かもしれない
でも最近気づいたことがある。
SNSで楽しそうな誕生日を投稿している人も、実は心の奥で寂しさを感じているのかもしれない。写真の笑顔の裏に、「本当に心から祝ってくれているのかな」という不安があるのかもしれない。
人に囲まれているからといって、必ずしも幸せとは限らない。一人でいることと、孤独を感じることは、実は別のもの。
そして、表面的なお祝いよりも、本当に自分のことを思ってくれる人が一人でもいる方が、ずっと価値があるということ。
自分で自分を祝う意味
誰も祝ってくれないなら、自分で自分を祝えばいい。
最初はそんな考えに抵抗があった。「自分で自分の誕生日を祝うなんて惨めすぎる」と思っていた。
でも考えてみれば、この一年間、一番頑張ったのは自分。一番自分の成長を見てきたのも自分。一番自分の辛さや喜びを知っているのも自分。
だったら、一番心を込めて自分を祝ってあげられるのも、自分なのかもしれない。
小さな自分への贈り物
今年の誕生日は、小さな贈り物を自分に用意してみよう。
高価なものである必要はない。ずっと読みたかった本、好きなカフェでのケーキ、お気に入りの入浴剤、きれいな花一輪。
そして鏡に向かって、こう言ってみよう。
「お疲れさま。今年もよく頑張ったね。生まれてきてくれてありがとう。」
最初は恥ずかしいかもしれない。でも、その言葉を一番聞きたがっているのは、他ならぬ自分自身。
この世に生まれた奇跡
誕生日は、この世に生まれてきた奇跡の日。
何億という確率を乗り越えて、今ここに存在している奇跡の日。誰かに祝ってもらえるかどうかに関係なく、それだけで十分に特別な日。
一人で過ごす誕生日も、きっと意味がある。静かに自分と向き合い、これまでの人生を振り返り、これからの人生に想いを馳せる貴重な時間。
来年はきっと
今年は一人でも、来年は違うかもしれない。
新しい出会いがあるかもしれないし、疎遠になっていた友達との関係が復活するかもしれない。あるいは、恋人ができるかもしれない。
でも、もし来年も一人だったとしても、それはそれでいい。自分を大切にする方法を知った今なら、一人の誕生日も豊かな時間にできる。
あなたの誕生を祝う人がここにいる
もしあなたが今、誕生日を一人で過ごそうとしているなら、知ってほしい。
この文章を書いている私は、あなたの誕生を心から祝っている。あなたがこの世に生まれてきてくれたことを、本当に嬉しく思っている。
あなたの優しさも、繊細さも、時には頑固なところも、すべて含めてあなたらしさ。そんなあなたに出会えて、本当に良かった。
特別な日を取り戻そう
誕生日は、本来とても特別な日。
他の誰でもない、あなただけの記念日。そしてあなたがこの世界にいてくれることを感謝する日。
一人で過ごすことになっても、その特別さは変わらない。むしろ、静かに自分と向き合える貴重な一日として、大切に過ごしてみよう。
そしていつか、心から「おめでとう」と言ってくれる人との出会いを信じて。
今日という日を、そっと自分で祝福してあげよう。
あなたが生まれてきてくれて、本当に良かった。
お誕生日おめでとう。