夜中にベッドの中で考えることがある。
本当に「運命の人」なんているのだろうか。映画や小説のような、劇的で運命的な出会いは実在するのだろうか。
そして、もしいるとしたら、私はその人にいつ出会えるのだろう。もしいないとしたら、今まで信じてきた気持ちは何だったのだろう。
憧れと現実の間で
子どもの頃から、どこかで「運命の人」を信じてきた。
ディズニー映画のプリンセスのように、いつか白馬の王子様が現れて、すべてが変わる。そんな物語を心のどこかで描いていた。
でも大人になって、周りの恋愛を見ていると、現実はもっと地味で、もっと複雑で、もっと努力が必要なもののように思える。
友達のカップルを見ていても、「この人たちは運命だったのかな」と疑問に思うことがある。喧嘩もするし、価値観が合わないこともある。でも、それでも一緒にいる。
これが運命なのか、それとも選択なのか。
大学で学んだこと
私が大学でコミュニケーション学を学んでいたとき、人間関係について様々な理論を学んだ。
統計的に見れば、恋愛は「近接性の法則」や「類似性の法則」で説明できることが多い。つまり、近くにいて、価値観が似ている人と恋に落ちやすい。
でも、そんな科学的な説明を知れば知るほど、「運命」という神秘的な概念が薄れていく。まるで魔法が解けてしまったような、少し寂しい気持ちになった。
でも同時に気づいたことがある。理論で説明できることと、実際に感じることは別だということ。
「運命」の定義を変えてみる
もしかしたら、「運命の人」という概念を少し変えて考えてみてもいいのかもしれない。
劇的な出会いや、一瞬で分かる相性ではなく、「一緒にいると自然体でいられる人」「お互いを成長させ合える人」「困難な時も支え合える人」。
そういう人との出会いは、確かに「運命的」と呼べるかもしれない。たとえそれが、職場の隣の席の人でも、友達の紹介でも、マッチングアプリでも。
出会い方は関係ない。大切なのは、その後にどんな関係を築けるか。
信じすぎることの危険
でも「運命の人」を強く信じすぎることにも、リスクがある。
理想が高くなりすぎて、目の前の良い人を見逃してしまう。 「この人は運命の人じゃない」と決めつけて、関係を深めることを避けてしまう。 現実の恋愛に対して、常に物足りなさを感じてしまう。
私も長い間、映画のような劇的な恋愛を待ち続けていた。でもそうしているうちに、たくさんの小さな可能性を見逃していたのかもしれない。
運命は作るもの
最近考えるのは、運命は「出会うもの」ではなく「作るもの」なのかもしれないということ。
どんなに相性が良くても、お互いに努力しなければ関係は続かない。どんなに運命的な出会いでも、思いやりがなければ愛は育たない。
逆に言えば、最初はそれほど特別に感じなかった人でも、時間をかけて理解し合い、支え合っているうちに、「この人が私の運命の人だった」と感じるようになることもある。
つまり、運命は結果的に分かるもの。最初から決まっているものではないのかもしれない。
信じることの美しさ
それでも、「運命の人」という概念を完全に捨てる必要はないと思う。
その信念があるから、恋愛に対して真剣になれる。その希望があるから、一人でいる時間も意味のあるものに感じられる。
ただ、その信念に縛られすぎないことが大切。運命を信じながらも、現実を受け入れる柔軟さを持つこと。
今できることから始める
「運命の人」を待っている間にも、今できることがある。
自分自身を大切にすること。興味のあることに時間を使うこと。人との出会いを大切にすること。
そうやって充実した日々を送っているうちに、きっと素敵な出会いが訪れる。それが運命的な瞬間なのか、日常的な出来事なのかは分からない。でも、準備ができているあなたなら、どちらも受け入れられるはず。
信じることと期待することの違い
「運命の人」を信じることと、「運命の人が現れるのを待つこと」は違う。
信じることは希望を持つこと。でも待つだけでは、何も変わらない。
信じながらも行動する。希望を持ちながらも現実と向き合う。そのバランスが大切なのかもしれない。
あなたの感覚を信じて
結局のところ、「運命の人」を信じるかどうかは、あなた次第。
理論や統計よりも大切なのは、あなた自身の感覚。あなたの心が求めているもの。
もし「運命の人」という概念があなたに希望を与えてくれるなら、信じていい。もしその概念があなたを縛っているなら、少し距離を置いてもいい。
大切なのは、あなたが幸せでいること。あなたらしい恋愛をすること。
今夜も考え込んでしまうあなたへ。
答えを急ぐ必要はない。信じることも、疑うことも、どちらも自然な感情。
ただ、どんな答えを選んでも、あなたの価値は変わらない。あなたは今この瞬間にも、誰かにとって特別な存在になり得る人。
運命を信じるなら、まず自分との運命的な出会いを大切にしよう。自分を愛することから、すべては始まる。