最近、友達に「好きな人いる?」と聞かれて、答えに困ってしまった。
昔なら即座に「いない」か「いる」か答えられたのに、今はその境界線が曖昧で、自分でもよくわからない。
これは恋愛感情なのか、それとも単なる好意なのか。友情の延長なのか、それとも何か別の感情なのか。
気がつけば、恋愛感情というもの自体がよくわからなくなっていた。
「好き」って何だっけ
小さい頃は、「好き」はもっとシンプルだった。
ドキドキして、一緒にいたくて、その人のことばかり考えて。映画や小説で描かれるような、わかりやすい感情。
でも年を重ねるにつれて、感情は複雑になった。
ドキドキしない「好き」もある。安心感を与えてくれる人への「好き」。尊敬から生まれる「好き」。一緒にいて楽しい人への「好き」。
どれが恋愛で、どれが友情なのか。その線引きが、だんだんわからなくなってきた。
恋愛の「正解」に疲れた
メディアやSNSは、恋愛の「正解」を教えてくれる。
「運命の出会い」「一目惚れ」「激しい恋心」「永遠の愛」
でも現実の私の感情は、そんなにドラマチックじゃない。もっと穏やかで、もっと複雑で、もっと曖昧。
私が大学でコミュニケーション学を学んでいたとき、人間の感情について多くのことを学んだ。感情は個人差が大きく、文化的背景にも影響される。つまり、恋愛感情に「標準的な形」なんて存在しない。
それなのに、なぜ自分の感情を「正しい恋愛感情」と照らし合わせて判断しようとするのだろう。
経験を重ねることで失ったもの
恋愛経験を重ねるうちに、純粋な感情を持ちにくくなったような気がする。
「この人とお付き合いしたら、どうなるだろう」 「将来性はあるだろうか」 「価値観は合うだろうか」
そんな計算が先に立って、素直に「好き」という感情を感じられない。
昔のように、何も考えずに人を好きになれたあの頃が懐かしい。でも、あの頃の純粋さを取り戻そうとしても、もう知ってしまったものは忘れられない。
守るものが増えた分だけ
年齢を重ねるにつれて、守るものが増えた。
仕事、友人関係、家族との関係、そして何より自分らしい生活。
新しい恋愛に踏み出すということは、これらのバランスを変えるリスクを伴う。だから無意識のうちに、恋愛感情にブレーキをかけてしまう。
これは決して冷めているわけではない。むしろ、大切なものがたくさんあるからこその慎重さ。
恋愛以外の愛情の豊かさ
最近気づいたのは、恋愛以外の愛情の豊かさ。
家族への愛、友人への愛、ペットへの愛、好きな作家への愛、美しい風景への愛。
これらの愛情も、確実に私の心を満たしてくれる。もしかしたら、昔ほど恋愛に依存する必要がなくなったのかもしれない。
だからこそ、恋愛感情がよくわからなくなったのかもしれない。必要に迫られていないから、感情も曖昧になる。
それでも誰かを想う気持ち
でも、完全に恋愛感情がなくなったわけではない。
時々、誰かのことを特別に思う瞬間がある。その人のことを考えると、なんだか心が温かくなる。会えると嬉しいし、会えないと少し寂しい。
これが恋愛感情なのか友情なのか、はっきりとは分からない。でも、その曖昧さも悪くないと思えるようになった。
感情に名前をつけなくてもいい
無理に自分の感情に「恋愛」というラベルを貼る必要はないのかもしれない。
「好き」にもいろんな形がある。 「大切」にもいろんな意味がある。 「愛おしい」にもいろんな深さがある。
それぞれが尊い感情で、どれも私の心を豊かにしてくれる。
自分らしい愛し方を見つける
もしかしたら、年齢を重ねるということは、自分らしい愛し方を見つけることなのかもしれない。
激しく燃え上がる恋ではなく、静かに心を温める愛。 劇的な出会いではなく、日常の中で育まれる愛。 完全に相手のものになるのではなく、お互いの自立を尊重し合う愛。
そんな愛の形があってもいい。
感情の変化を受け入れる
恋愛感情がわからなくなったことを、成長の証として受け入れよう。
昔の自分と今の自分は違う。感じ方も、愛し方も変わって当然。
大切なのは、今の自分の感情に嘘をつかないこと。無理に昔のような恋愛感情を再現しようとしないこと。
新しい恋の可能性
そうやって自分の感情を受け入れていると、きっと新しい形の恋が見つかる。
年齢相応の、大人らしい、深みのある恋。お互いの人生を尊重し合いながら、それでも特別な存在として大切に思い合える関係。
それは昔憧れた恋とは違うかもしれない。でも、今の自分にとっては、もっと価値のあるものになるはず。
恋愛感情がよくわからなくても大丈夫。
あなたの心は、確実に誰かを愛する力を持っている。その愛の形が、昔と違っているだけ。
今のあなたらしい愛を、ゆっくりと見つけていこう。