コンビニで手が塞がっているときにドアを開けてもらったり、電車で席を譲ってもらったり、職場でちょっとした手助けをしてもらったり。
そんな何気ない優しさを受けたとき、なぜか素直に「ありがとう」が言えない。心の中でざわざわとした感情が渦巻いて、どう反応していいのかわからなくなってしまう。
この感覚、私だけではないはず。
「なぜ私に?」という疑問
優しくされたとき、最初に浮かぶのは「なぜ私に?」という疑問。
自分に価値があるとは思えないから、他者からの親切を受け取ることに罪悪感を感じてしまう。「もっと必要としている人がいるのでは」「私なんかが受け取っていいのか」そんな思いが頭をよぎる。
私も大学時代、一人でお昼を食べているときに、クラスメイトから「一緒に食べない?」と声をかけられたことがある。その瞬間、嬉しいよりも先に「なぜ私を誘うの?」「何か理由があるの?」という疑いの気持ちが湧いてきてしまった。
素直に喜べない自分が、情けなくて悲しかった。
裏があるのではという不安
優しさに対して身構えてしまうのは、過去に「優しさの裏に何かがあった」経験があるからかもしれない。
条件付きの優しさ。見返りを求める親切。表面的な社交辞令。そんな経験が積み重なると、純粋な優しさに出会ったときも、つい疑ってしまう。
「何か期待されているのでは」 「後で何かお返しを求められるのでは」 「本当は迷惑だと思っているのでは」
そんな不安が、せっかくの優しさを素直に受け取ることを邪魔してしまう。
お返しできない自分への焦り
優しくされると、同じように優しさを返さなければという強迫観念にかられる。
でも、今の自分には相手が望むような形でお返しできる自信がない。そう感じると、優しさを受け取ることそのものが重荷になってしまう。
「迷惑をかけているのでは」 「期待に応えられないのでは」 「がっかりされるのでは」
そんな気持ちが先行して、せっかくの善意を台無しにしてしまう。
優しさに慣れていない心
実は、優しくされることに単純に慣れていないのかもしれない。
家族関係が複雑だったり、友人関係で傷ついた経験があったり、自分を大切にしてもらった記憶が少なかったり。優しさが日常にないと、それを受け取る「受容力」が育たない。
筋肉と同じで、使わないと衰えてしまう。優しさを受け取る心の筋肉も、鍛える必要がある。
私も一人で過ごす時間が長かった分、人からの親切に対してどう反応すればいいのか、本当にわからなかった。「普通の反応」がわからなくて、いつもぎこちなくなってしまった。
自己価値の低さが根底にある
でも、一番の理由は自己価値の低さかもしれない。
「私なんて優しくされる価値がない」「私は誰からも愛されない」そう心の奥底で思っているから、優しさを受けたときに戸惑ってしまう。
自分を大切に思えない人は、他者から大切にされることも受け入れにくい。それは自己イメージと矛盾するから。
優しさは「もらうもの」ではなく「あるもの」
でも、考え方を少し変えてみよう。
優しさは、もらうものでも返すものでもない。この世界にあふれているもの。そして、あなたもその優しさの一部。
誰かがあなたに優しくするのは、あなたに価値があるから。あなたが特別だから。あなたが愛されるに値する存在だから。
そのことを、まず自分自身が信じてみよう。
小さな「ありがとう」から始めよう
いきなり優しさを完璧に受け取れるようになる必要はない。
まずは小さな「ありがとう」から始めてみよう。戸惑いながらでも、ぎこちなくても、その一言を口にしてみる。
相手も、あなたの戸惑いを理解してくれる。完璧なリアクションを求めているわけではない。ただ、その優しさが届いたということを知りたいだけ。
優しさの連鎖を信じてみる
あなたが誰かの優しさを受け取ることで、その優しさは世界に広がっていく。
今日受け取った優しさが、明日あなたが誰かに優しくする原動力になる。そうやって、優しさは連鎖していく。
あなたが優しさを受け取ることは、決して一方的に奪うことではない。むしろ、世界をより優しい場所にする貢献。
あなたには愛される資格がある
最後に、これだけは覚えていてほしい。
あなたには愛される資格がある。 あなたには優しくされる価値がある。 あなたには幸せになる権利がある。
戸惑ってもいい。すぐに慣れなくてもいい。でも少しずつ、自分が愛されるに値する存在だということを信じてみよう。
そうすれば、いつか優しさを自然に受け取れるようになる。そして、その優しさを自然に人に分けてあげられるようになる。
今日誰かから受けた小さな優しさ。それは、あなたが思っている以上に尊いもの。戸惑いながらでも、その贈り物を大切に受け取ってみよう。
あなたの心が、少しずつ優しさで満たされていきますように。