「相手の立場に立って考えなさい」
子どもの頃から何度も言われてきた言葉。でも正直に言うと、これがとても難しい。
頭では分かっている。相手にも感情があって、事情があって、考えがあることを。でも実際に相手の立場で考えようとすると、どうしても自分の視点から抜け出せない。
そんな自分がわがままなのか、冷たいのか、時々不安になってしまう。
自分の世界から出るのは怖い
実は、相手の立場に立つのが難しいのは、決して冷たいからではない。
むしろ、自分の世界にとどまっていることで、自分を守っているのかもしれない。
相手の立場で考えるということは、一時的にでも自分の価値観や経験を脇に置いて、まったく違う世界を受け入れるということ。それはとても勇気のいることだ。
私も大学でコミュニケーション学を学びながら、理論と実践の間にある大きな溝を感じていた。教科書では「共感的理解」の重要性を学ぶけれど、実際に人と向き合うとき、相手の気持ちを理解するのはとても難しかった。
想像力の限界
私たちの想像力には、どうしても限界がある。
自分が経験したことのない状況を、本当の意味で理解することは不可能に近い。裕福な家庭で育った人が貧困を、健康な人が病気を、一人っ子が兄弟関係を、完全に理解することはできない。
それは当たり前のこと。でも、そのことを責める必要はない。
大切なのは、「完全に理解しなければいけない」という重荷を自分に課すことではなく、「理解しようとする気持ち」を持つこと。
自分基準で考えてしまう癖
気づくと、いつも自分の価値観で物事を判断してしまう。
「私だったらこうするのに」 「私だったらこう感じるのに」 「なんでそんなことで悩むの?」
そんな風に考えてしまう自分に、後から罪悪感を感じることがある。
でもこれも、ある意味自然なこと。私たちは自分の経験と価値観を通してしか世界を見ることができない。それが人間の認知の仕組みだから。
理解できないことを認める勇気
実は、「相手の立場に立つ」ということの第一歩は、「理解できないことがある」ということを認めることかもしれない。
「私にはあなたの気持ちが完全には分からない」 「でも、分からないなりにも、あなたを大切に思っている」
そんな風に正直に伝えることの方が、知ったふりをして間違った共感を示すよりも、ずっと誠実だと思う。
私も長い間、「理解しなければいけない」という強迫観念に縛られていた。でも、理解できないことを認めたとき、かえって相手との距離が縮まることがあった。
小さな共感から始める
完璧な理解を目指すのではなく、小さな共感から始めてみよう。
相手の表情を見て、「なんだか辛そう」と感じたら、それだけでも立派な共感。 相手の声のトーンから、「嬉しそう」「疲れてそう」と察することができたら、それも理解の第一歩。
大切なのは、相手の感情の存在を認めること。たとえその理由が分からなくても。
質問することの価値
相手の立場に立つために、想像だけに頼る必要はない。
「どんな気持ちですか?」 「どうしてそう思うんですか?」 「私にできることはありますか?」
素直に質問することで、相手の世界を少しずつ理解することができる。
質問することは、「あなたに関心がある」「理解したいと思っている」というメッセージを伝えることでもある。
完璧な共感は存在しない
どんなに努力しても、完璧に相手の立場に立つことはできない。
でもそれで良いのだと思う。人は一人ひとり違うからこそ、完全な理解は不可能。でもその代わりに、不完全ながらもお互いを思いやろうとする気持ちがある。
その気持ちこそが、人と人をつなぐ一番大切なもの。
自分の感情も大切にしよう
相手の立場に立とうとするあまり、自分の感情を押し殺してしまうことがある。
でも、自分の気持ちを無視してまで相手に合わせる必要はない。
「あなたの気持ちも分かるし、私の気持ちもある」
そんな風に、お互いの感情を尊重し合える関係が理想的。
ゆっくりと理解を深めていく
人を理解することは、一瞬でできることではない。時間をかけて、少しずつ相手のことを知っていく過程。
今日理解できなかったことが、明日は少し分かるかもしれない。来月には、今とは違う視点で見ることができるかもしれない。
焦らずに、ゆっくりと。
あなたらしい共感の形を見つけよう
人それぞれ、共感の仕方は違う。
言葉で表現するのが得意な人もいれば、行動で示すのが得意な人もいる。 一緒にいることで支えになる人もいれば、距離を置いて見守ることが愛情表現の人もいる。
あなたはあなたなりの方法で、相手を思いやることができる。それを見つけていけばいい。
相手の立場に立って考えるのが難しいと感じているあなたは、実はとても誠実な人。
だからこそ、中途半端な理解で満足せず、もっと深く相手を理解したいと思っている。その気持ちそのものが、すでに大きな第一歩なのだから。