恋愛至上主義の友達グループから距離を置いた話

恋愛至上主義の友達グループから距離を置いた話

恋愛話ばかりの友達グループに居心地の悪さを感じ、距離を置くことを選んだ体験談

読了時間: 5分

「また恋愛の話かあ…」

カフェのテーブルを囲んで座る友達たちの会話を聞きながら、私は心の中でそっとため息をついた。

今日もまた、誰が誰とつき合った、別れた、気になる人がいる、合コンに行った。そんな話題で3時間が過ぎていく。

最初は楽しく聞いていた。でも次第に、この空間にいることが辛くなっていった。

恋愛が全ての価値基準

私たちのグループでは、いつの間にか恋愛が唯一の価値基準になっていた。

恋人がいることが「勝ち」で、いないことが「負け」。 恋愛経験が豊富なことが「すごい」で、少ないことが「遅れている」。 モテることが「価値がある」で、モテないことが「問題がある」。

そんな無言のヒエラルキーが、グループの中に出来上がっていた。

私は恋愛経験が少ない方だった。だから自然と、この序列の下の方にいた。そして次第に、自分の発言に価値がないような気がしてきた。

「恋愛してない人には分からないよね」

そんな言葉を何度聞いただろう。悪気はないのかもしれない。でも、その度に心にちくりと刺さった。

話せることがなくなった

恋愛以外の話題は、いつの間にか価値のないものとして扱われるようになった。

仕事で昇進した話をしても、「彼氏できないから仕事に逃げてるんでしょ」と言われた。 新しい趣味を始めた話をしても、「そんなことより男性と出会える場所に行けば」と返された。 読んだ本の話をしても、「恋愛小説じゃないの?」と興味なさそうに流された。

私の人生で起きている出来事の中で、恋愛以外のことはすべて「価値の低いもの」として扱われていた。

これがどれほど辛いことか、当時の私にはうまく言葉にできなかった。でも今なら分かる。私の存在そのものが否定されているような気がしていたのだ。

「普通の話」ができない

一番困ったのは、普通の日常会話ができなくなったことだった。

美味しいレストランの話をしても、「デートで使えるかな」という視点でしか見てもらえない。 映画の感想を話しても、「恋愛映画?」と聞かれる。 旅行の話をしても、「一人旅?寂しくない?」と同情される。

私はただ、友達と他愛のない話をしたかった。恋愛とは関係のない、でも私にとっては大切な日常の出来事を共有したかった。

でも、その「普通の会話」をする場所が、いつの間にかなくなっていた。

価値観の押し付け

最も辛かったのは、彼女たちの価値観を強要されることだった。

「恋愛しないと女として終わりだよ」 「一人でいることに慣れちゃダメ」 「もっと積極的にならなきゃ」

善意から言ってくれているのは分かる。でも、私には私の人生がある。私には私のペースがある。私には私の価値観がある。

それらをすべて否定されているような気がして、次第に会うのが億劫になっていった。

孤立への恐れ

でも、距離を置くことは簡単ではなかった。

このグループを失ったら、私には他に友達がいなくなる。一人になってしまう。そんな恐怖があった。

「恋愛至上主義は嫌だけど、一人になるのはもっと嫌」

そんなジレンマの中で、しばらくは我慢して付き合い続けた。でも、偽りの自分でいることの疲労感は日に日に増していった。

転機

転機は、ある日の会話だった。

私が仕事で大きなプロジェクトを成功させた話をしたとき、友達の一人がこう言った。

「でも、それって男性からモテるの?」

その瞬間、何かがぷつりと切れた。

私の努力も、成果も、喜びも、すべてが「モテるかどうか」というフィルターを通してしか見てもらえないのだと気づいた。

距離を置く決断

その日を境に、私は少しずつ距離を置くことにした。

最初は罪悪感があった。友達を裏切っているような気がして。でも、本当の友情とは、お互いの価値観を尊重し合うものではないだろうか。

一方的に価値観を押し付けられる関係は、もう友情とは呼べないのではないか。

一人になった時間

グループから離れて、一人になった。

最初は寂しかった。でも、次第にその静けさが心地よくなった。

自分の興味のあることに集中できる。自分のペースで生きられる。誰かの価値観に合わせて自分を偽る必要がない。

そして何より、恋愛以外のことにも価値があることを、改めて実感できた。

新しい出会い

一人になって数ヶ月後、新しい出会いがあった。

読書会で知り合った人たち。趣味のサークルで出会った人たち。職場の勉強会で話すようになった人たち。

彼らとの会話は、恋愛の話もあるけれど、それが全てではなかった。仕事の話、趣味の話、社会情勢の話、哲学的な話。様々な話題が自然に行き交う、豊かな時間だった。

本当の友情とは

今振り返って思うのは、本当の友情とは相手の人生を丸ごと受け入れることだということ。

恋愛をしている人も、していない人も。 結婚している人も、独身の人も。 子供がいる人も、いない人も。

それぞれの人生には、それぞれの価値がある。それぞれの選択には、それぞれの意味がある。

あなたも辛いなら

もしあなたも、恋愛至上主義の友達グループの中で息苦しさを感じているなら、それはあなたがおかしいのではない。

価値観の違いは、どちらが正しくてどちらが間違っているという話ではない。ただ、合わないというだけ。

そして、合わない環境から離れることは、逃げることではない。自分を守ることであり、本当の自分でいられる場所を探すことだ。

一人になる勇気

一人になることは怖い。でも、偽りの自分でいることの方がもっと辛い。

本当のあなたを受け入れてくれる人は、必ずいる。でも、偽りの自分のままでいては、その人たちと出会うことはできない。

自分らしさを大切に

恋愛も素晴らしいものだと思う。でも、それがすべてではない。

あなたの人生には、恋愛以外にもたくさんの大切なことがある。それらすべてが、あなたという人を形作っている。

そのすべてを認めてくれる人たちと、過ごす時間を大切にしよう。

あなたはあなたのままで、十分に価値のある存在なのだから。