街で見かけるカップルが羨ましい

街で見かけるカップルが羨ましい

街を歩いていて幸せそうなカップルを見かけるたびに感じる複雑な気持ちについて

読了時間: 4分

カフェの窓際で一人コーヒーを飲んでいると、向かいの歩道を手を繋いで歩くカップルが見える。

楽しそうに話しながら、時々笑い合いながら、二人だけの世界を歩いている。

その光景を見るたび、胸の奥がきゅっと締め付けられる。羨ましい、という感情と一緒に。

いつもの帰り道で

仕事帰りの電車で、向かい合って座るカップル。 ショッピングモールで、一緒に服を選んでいる二人。 公園のベンチで、寄り添って夕日を見ている恋人たち。

日常のあちこちで、幸せそうなカップルの姿が目に飛び込んでくる。

そのたびに思う。私もあんな風に、誰かと一緒にいられたらいいのに、と。

でも同時に、そんな自分の気持ちを恥ずかしく思ったりもする。一人でも十分幸せなはずなのに、なぜこんなにも羨ましく感じてしまうのだろう。

羨ましさの正体

その羨ましさの正体を、少し詳しく見つめてみよう。

私たちが羨ましく感じるのは、カップルの「関係そのもの」だろうか。それとも、その関係が生み出している「何か」だろうか。

きっと後者だと思う。

二人で歩く安心感。 誰かと想いを共有できる喜び。 一人じゃないという確かな実感。 何気ない瞬間を一緒に過ごせる温かさ。

私たちが羨ましく感じているのは、その人たちではなく、その人たちが持っている「つながり」の感覚なのかもしれない。

大学時代の私

私が大学でコミュニケーション学を学んでいた頃、興味深い研究に出会った。

人間の基本的な欲求の一つに「所属欲求」というものがある。どこかに自分の居場所があり、誰かに必要とされているという感覚。

一人でいることが好きな私でも、やはりその欲求は消えることがない。むしろ、普段一人の時間が多いからこそ、誰かとのつながりに対する憧れが強くなることもある。

あの頃の私は、教科書で学んだ理論と、自分の実際の感情のギャップに戸惑っていた。頭では理解できても、心は別のことを求めていた。

見えない部分もある

でも、街で見かけるカップルの姿は、ほんの一瞬の切り取られた場面でしかない。

その瞬間は確かに幸せそうに見えるけれど、二人の関係のすべてではない。喧嘩もするだろうし、すれ違うこともあるだろうし、一人になりたいと思う時もあるはず。

私たちは、他人の幸せな瞬間だけを見て、自分の日常と比較してしまいがち。でもそれは、公平な比較ではない。

映画のワンシーンのような瞬間と、自分の24時間すべてを比べているようなもの。

一人の時間の価値を再確認

カップルを羨ましく思う気持ちは自然なもの。でも、だからといって一人でいる今の時間が無価値というわけではない。

一人だからこそできることがある。 自分のペースで歩けること。 好きな店に入れること。 思いついたままに予定を変えられること。 静かに自分の心と向き合えること。

これらはすべて、一人でいる人だけの特権。

羨ましさを感じてもいい

羨ましいと感じることを、無理に否定する必要はない。

その感情は、あなたの中にある「誰かとつながりたい」という自然な願いの表れ。それは決して恥ずかしいことではないし、弱さでもない。

ただ、その感情に支配されすぎないことが大切。羨ましさを感じたときは、それを受け入れて、でも同時に今の自分の状況の良さも思い出そう。

自分なりの幸せを見つける

街で見かけるカップルのような幸せが、あなたにとって唯一の幸せの形ではない。

友達との楽しい時間。 好きな本との静かな時間。 美味しいものを食べる瞬間。 新しいことを学ぶ喜び。 創作活動に没頭する時間。

幸せの形は、人それぞれ。あなたにはあなたなりの、かけがえのない幸せがある。

いつか来る出会いを信じて

でも、もしあなたが本当に誰かとのつながりを求めているなら、それを諦める必要もない。

今は一人でも、いつか素敵な出会いがあるかもしれない。その時が来るまで、今の自分を大切に育てていこう。

一人の時間を充実させることは、将来誰かと出会ったときの糧にもなる。豊かな内面を持った人は、きっと素敵な関係を築けるから。

今日という日を大切に

街でカップルを見かけて羨ましく思うとき、その気持ちを否定しなくていい。

でも、その後は自分の足元を見つめ直そう。今ここにいる自分を、今日という日を、今の生活を。

羨ましいと思う気持ちがあるということは、まだ心が生きている証拠。感受性豊かで、愛を求める気持ちを持っている証拠。

その気持ちを大切にしながら、でも今の自分も同じくらい大切にしていこう。

あなたの人生は、誰かと比べるためにあるのではない。あなたらしい幸せを見つけるためにある。

今日も、あなたなりのペースで、あなたなりの道を歩んでいこう。