カフェの窓際で一人コーヒーを飲んでいると、向かいの歩道を手を繋いで歩くカップルが見える。
楽しそうに話しながら、時々笑い合いながら、二人だけの世界を歩いている。
その光景を見るたび、胸の奥がきゅっと締め付けられる。羨ましい、という感情と一緒に。
いつもの帰り道で
仕事帰りの電車で、向かい合って座るカップル。 ショッピングモールで、一緒に服を選んでいる二人。 公園のベンチで、寄り添って夕日を見ている恋人たち。
日常のあちこちで、幸せそうなカップルの姿が目に飛び込んでくる。
そのたびに思う。私もあんな風に、誰かと一緒にいられたらいいのに、と。
でも同時に、そんな自分の気持ちを恥ずかしく思ったりもする。一人でも十分幸せなはずなのに、なぜこんなにも羨ましく感じてしまうのだろう。
羨ましさの正体
その羨ましさの正体を、少し詳しく見つめてみよう。
私たちが羨ましく感じるのは、カップルの「関係そのもの」だろうか。それとも、その関係が生み出している「何か」だろうか。
きっと後者だと思う。
二人で歩く安心感。 誰かと想いを共有できる喜び。 一人じゃないという確かな実感。 何気ない瞬間を一緒に過ごせる温かさ。
私たちが羨ましく感じているのは、その人たちではなく、その人たちが持っている「つながり」の感覚なのかもしれない。
大学時代の私
私が大学でコミュニケーション学を学んでいた頃、興味深い研究に出会った。
人間の基本的な欲求の一つに「所属欲求」というものがある。どこかに自分の居場所があり、誰かに必要とされているという感覚。
一人でいることが好きな私でも、やはりその欲求は消えることがない。むしろ、普段一人の時間が多いからこそ、誰かとのつながりに対する憧れが強くなることもある。
あの頃の私は、教科書で学んだ理論と、自分の実際の感情のギャップに戸惑っていた。頭では理解できても、心は別のことを求めていた。
見えない部分もある
でも、街で見かけるカップルの姿は、ほんの一瞬の切り取られた場面でしかない。
その瞬間は確かに幸せそうに見えるけれど、二人の関係のすべてではない。喧嘩もするだろうし、すれ違うこともあるだろうし、一人になりたいと思う時もあるはず。
私たちは、他人の幸せな瞬間だけを見て、自分の日常と比較してしまいがち。でもそれは、公平な比較ではない。
映画のワンシーンのような瞬間と、自分の24時間すべてを比べているようなもの。
一人の時間の価値を再確認
カップルを羨ましく思う気持ちは自然なもの。でも、だからといって一人でいる今の時間が無価値というわけではない。
一人だからこそできることがある。 自分のペースで歩けること。 好きな店に入れること。 思いついたままに予定を変えられること。 静かに自分の心と向き合えること。
これらはすべて、一人でいる人だけの特権。
羨ましさを感じてもいい
羨ましいと感じることを、無理に否定する必要はない。
その感情は、あなたの中にある「誰かとつながりたい」という自然な願いの表れ。それは決して恥ずかしいことではないし、弱さでもない。
ただ、その感情に支配されすぎないことが大切。羨ましさを感じたときは、それを受け入れて、でも同時に今の自分の状況の良さも思い出そう。
自分なりの幸せを見つける
街で見かけるカップルのような幸せが、あなたにとって唯一の幸せの形ではない。
友達との楽しい時間。 好きな本との静かな時間。 美味しいものを食べる瞬間。 新しいことを学ぶ喜び。 創作活動に没頭する時間。
幸せの形は、人それぞれ。あなたにはあなたなりの、かけがえのない幸せがある。
いつか来る出会いを信じて
でも、もしあなたが本当に誰かとのつながりを求めているなら、それを諦める必要もない。
今は一人でも、いつか素敵な出会いがあるかもしれない。その時が来るまで、今の自分を大切に育てていこう。
一人の時間を充実させることは、将来誰かと出会ったときの糧にもなる。豊かな内面を持った人は、きっと素敵な関係を築けるから。
今日という日を大切に
街でカップルを見かけて羨ましく思うとき、その気持ちを否定しなくていい。
でも、その後は自分の足元を見つめ直そう。今ここにいる自分を、今日という日を、今の生活を。
羨ましいと思う気持ちがあるということは、まだ心が生きている証拠。感受性豊かで、愛を求める気持ちを持っている証拠。
その気持ちを大切にしながら、でも今の自分も同じくらい大切にしていこう。
あなたの人生は、誰かと比べるためにあるのではない。あなたらしい幸せを見つけるためにある。
今日も、あなたなりのペースで、あなたなりの道を歩んでいこう。