夜中にふと考えてしまうことがある。
今まで生きてきて、本当に誰かに愛されたことがあるのだろうか。
家族からの愛は感じたことがある。でも、それは血のつながりがあるから当然のもの?友達からの好意も感じたことがある。でも、それは愛とは違うもの?
恋愛において、誰かから本当の意味で愛されたことがあるのか。考えれば考えるほど、分からなくなってしまう。
愛って何だろう
まず、愛の定義がわからない。
映画やドラマで見る愛は、情熱的で劇的で、言葉にしなくても伝わってくる。でも現実の愛は、もっと静かで、もっと日常的で、もっと曖昧なもの。
私が大学でコミュニケーション学を学んでいたとき、人間関係における感情の表現について学んだ。でも理論として理解することと、実際に体験することは全く違う。
「愛している」と言われたことはある。でも、その言葉がどこまで本心だったのか、今でもわからない。
過去の関係を振り返ると
これまでの恋愛を思い返してみる。
あの人は私を愛していたのだろうか。優しくしてくれたし、一緒にいることを楽しんでくれているように見えた。でも、それは愛だったのか、それとも居心地の良さだったのか。
別れるとき、彼らは特に悲しそうでもなかった。すぐに新しい人と付き合ったりしている。それを見ると、私への気持ちは愛ではなかったのだと思ってしまう。
もしかしたら、私は愛される方法を知らないのかもしれない。愛を受け取る心の準備ができていないのかもしれない。
愛されることへの怖れ
実は、本当に愛されることが怖い。
愛されるということは、その分だけ傷つく可能性も高くなるということ。失うものが大きくなるということ。
だから無意識のうちに、深く愛されることを避けているのかもしれない。表面的な関係に留めて、安全な距離を保っている。
でも、そうやって自分を守っていたら、本当の愛を経験する機会も逃してしまう。
愛の形はそれぞれ
愛にはいろいろな形がある。
映画のような情熱的な愛もあれば、穏やかで静かな愛もある。言葉で表現される愛もあれば、行動で示される愛もある。
もしかしたら、私はすでに誰かに愛されていたのに、それが私の思い描く「愛」の形と違ったから、気づけなかっただけかもしれない。
あの人が毎朝送ってくれたメッセージ。 あの人が私の好きな食べ物を覚えていてくれたこと。 あの人が私の話を最後まで聞いてくれたこと。
もしかしたら、これらすべてが愛の表現だったのかもしれない。
自分を愛することから
誰かに愛されたことがあるかわからないなら、まず自分を愛することから始めよう。
自分の良いところも、気になるところも、すべて含めて受け入れる。自分を大切にする。自分の気持ちを尊重する。
自分を愛せるようになったとき、他者からの愛も受け取りやすくなる。自分に価値があると信じられるようになったとき、他者からの愛を疑うことも少なくなる。
愛は数えるものじゃない
愛されたことがあるかないかを数える必要はない。
愛は量で測るものではなく、質で感じるもの。一度でも、本当の意味で愛し合える関係を築けたら、それで十分。
でも、そんな関係がまだ見つからなくても大丈夫。それは単に、タイミングがまだ来ていないだけ。あなたに問題があるわけではない。
愛される準備をしておこう
いつか本当の愛に出会ったとき、それを受け取れるように準備をしておこう。
心の扉を少しずつ開いて、他者への信頼を育てる。完璧でない自分も受け入れてもらえるという可能性を信じる。
愛は、準備ができている人のところにやってくる。そして愛される準備とは、完璧になることではなく、ありのままの自分を受け入れることから始まる。
小さな愛に気づく練習
大きな愛を待つ前に、日常の小さな愛に気づく練習をしてみよう。
家族の何気ない優しさ。 友達の気遣い。 職場の同僚の笑顔。 街ですれ違う人の親切。
これらはすべて、愛の一つの形。人間は皆、様々な形で愛し合って生きている。
あなたはすでに愛されている
もしかしたら、あなたはすでに多くの人に愛されているのかもしれない。
ただ、その愛の形があなたの期待していたものと違っただけ。もしくは、愛を受け取ることに慣れていないだけ。
今夜、ベッドに入る前に、今日一日で誰かから受けた小さな優しさを思い出してみて。きっと、思っている以上にたくさんあるはず。
愛される価値がある
最後に、これだけは覚えておいて。
あなたは愛される価値がある。今のままで、十分に。
誰かに愛されたことがあるかないかは、あなたの価値とは関係ない。愛は、運やタイミング、相性によるところも大きい。
だから、愛されたことがないからといって、自分を責める必要はない。
きっと、あなたのことを心から愛してくれる人が現れる。その日を信じて、今日も自分らしく過ごしていこう。
あなたの優しさや繊細さを理解し、大切にしてくれる人は、必ずいる。