また今日も、カーテンを閉めたまま一日を過ごした。
外からは日常の音が聞こえてくる。通学する学生たちの声、仕事に向かう人たちの足音、近所の人たちの会話。みんな「普通」に生活している。
一方で私は部屋にいる。そんな自分を責める気持ちがふと湧いてくる。
でも本当に、これは悪いことなのだろうか。
「引きこもり」という言葉の重み
「引きこもり」という言葉には、なぜかネガティブなイメージがつきまとう。
社会不適応、怠惰、甘え、逃避──そんな言葉が自動的に頭に浮かんでしまう。メディアでも、家族でも、時には自分自身でさえ、引きこもりを「問題」として扱いがち。
でも私は大学でコミュニケーション学を学びながら、矛盾を感じていた。教室で学ぶ理論と、現実の人間関係のギャップ。みんなと同じように振る舞うことの疲労感。
そして気づいた。もしかしたら、引きこもることは私にとって必要なことなのかもしれない、と。
世界が疲れすぎている
今の世界は、とても疲れる。
SNSでは常に誰かの「リア充」な日常が流れてきて、ニュースでは毎日のように重いニュースが報じられる。学校や職場では、常に周りとの調和を求められる。
そんな中で、敏感な心を持つ人がエネルギーを消耗してしまうのは自然なこと。引きこもりは、そんな疲れた心を守るための、本能的な防御反応なのかもしれない。
私も人混みの中にいると、他人の感情を勝手に受け取ってしまって、帰宅した頃にはぐったりしていることがある。一人の時間がないと、自分が自分でなくなってしまいそうになる。
内向きの時間の価値
引きこもっている時間は、決して無駄な時間ではない。
本を読んでいるとき、音楽を聴いているとき、絵を描いているとき、ただぼんやりと考え事をしているとき。これらはすべて、内面を豊かにする大切な時間。
世界の偉大な作家や芸術家の多くは、実は引きこもりがちな性格だった。彼らは外の世界から一度距離を置くことで、深い洞察や創作のアイデアを得ていた。
あなたの引きこもりの時間も、同じように価値のあるもの。表面的には何も「生産」していないように見えても、心の奥底では大切な何かが育っているはず。
無理に合わせる必要はない
社会は「みんなと同じであること」を求めがち。
朝早く起きて、決まった時間に学校や会社に行って、みんなと同じように過ごして、同じような話題で盛り上がって。それができないと、どこか欠陥があるような気がしてしまう。
でも、本当にみんな同じである必要があるのだろうか。
私たちはそれぞれ違う性格を持って生まれてきた。内向的な人もいれば外向的な人もいる。一人の時間が必要な人もいれば、常に誰かと一緒にいたい人もいる。
それなのに、なぜ同じ生き方を求められるのだろう。
引きこもりながらでもできること
引きこもっているからといって、世界とのつながりを完全に断つ必要はない。
オンラインでの交流、本やメディアを通じた学び、創作活動、時には家族との穏やかな時間。これらもすべて、人とのつながりや成長の一形態。
私も最初は「ちゃんと外に出なきゃ」と自分を責めていた。でも少しずつ、自分に合った関わり方を見つけていった。深く狭い関係を大切にして、表面的な付き合いは控えめにする。そんなスタイルが、私には合っていた。
回復のための時間
時として、引きこもりは心の傷を癒すために必要な時間でもある。
過去に辛い経験があったり、人間関係で深く傷ついたり、社会の中で居場所を見つけられなかったり。そんなとき、一度安全な場所に避難して、心を回復させることは大切。
それは逃避ではなく、治療。骨折したときに安静にするのと同じように、心が疲れたときには休息が必要。
あなたのペースを大切に
もし今、あなたが引きこもりがちな生活をしているなら、それを責める必要はない。
あなたは今、あなたなりの方法で生きている。それがあなたにとって必要な時間なら、その時間を大切にしていい。
無理に外に出る必要はない。無理に人と関わる必要もない。あなたのペースで、あなたの方法で、少しずつ前に進んでいけばいい。
小さな一歩から
でも、もし少しでも外の世界とのつながりを感じたくなったら、本当に小さなことから始めてみてもいい。
窓を開けて外の空気を吸ってみるとか、近所のコンビニまで散歩してみるとか、オンラインで一言だけコメントしてみるとか。
そんな小さな一歩も、あなたにとっては大きな成長。誰と比べる必要もない。
あなたはあなたのままでいい
引きこもっているあなたも、外で活動しているあなたも、どちらも本当のあなた。
どちらかが正しくて、どちらかが間違っているわけじゃない。ただ、その時のあなたに必要な状態があるだけ。
今日も一日部屋で過ごしたとしても、それはあなたが選んだ大切な時間。その時間の中で、あなたは何かを感じ、考え、そして少しずつ成長している。
引きこもりは悪いことじゃない。それも、あなたらしい生き方の一つ。
自分を責めることなく、今日もあなたらしく、あなたのペースで過ごしていこう。