「あなたの理想、高すぎない?」
その言葉を聞くたび、胸がチクリと痛む。確かに私の理想は高いかもしれない。でも、それって悪いことなの?
理想が高いと言われる辛さ
引きこもり生活が長いと、よく言われることがある。
「現実を見なさい」 「贅沢言ってる場合じゃない」 「選ばれる立場なのに選んでどうするの」
そんな言葉を聞くたび、自分が間違っているような気持ちになる。でも本当にそうなのだろうか。
私も大学でコミュニケーション学を学んでいた頃、同じような経験をした。授業では「効果的なコミュニケーション」について学んでいるのに、実際の人間関係では思うようにいかない。そんな自分に理想を求めすぎているのかと悩んだ。
でも今になって思う。理想を持つことは、決して悪いことじゃない。
なぜ理想が高くなったのか
引きこもり生活が長いと、理想が高くなりやすいのには理由がある。
一人で過ごす時間が長い分、本を読んだり、映画を見たり、想像する時間がたくさんある。素敵な恋愛小説に触れて、理想の関係性を描く時間がある。
外の世界とのつながりが少ない分、頭の中で作り上げた完璧な世界に慣れてしまう。現実の不完全さや妥協が必要な部分に、なかなか慣れることができない。
でもこれは、感受性が豊かで、想像力があるからこそ。決して恥ずべきことではない。
理想を持つことの価値
理想が高いことを責める人もいるけれど、理想を持つことには大きな価値がある。
理想があるから、妥協しすぎて不幸になることを避けられる。 理想があるから、本当に大切にしたい関係性が見えてくる。 理想があるから、自分の価値観を大切にできる。
私の友人に、「とにかく誰でもいいから」と言って付き合い始めた人がいた。でも結局、価値観の違いから別れることになった。理想を持たずに始めた関係は、長続きしないことが多い。
一方で、理想を持ち続けて出会った関係は、時間はかかったけれど深くて大切なものになることが多い。
理想と現実のバランス
ただし、理想だけに固執するのも問題がある。大切なのはバランス。
「絶対に譲れない部分」と「歩み寄れる部分」を分けて考えてみよう。
例えば:
- 価値観や人生観の一致は絶対に譲れない
- でも、趣味や外見は完全に一致しなくても大丈夫
- 優しさは必須だけど、完璧である必要はない
- 一緒にいて安心できることは重要だけど、刺激的である必要はない
こうやって整理すると、実は「譲れない部分」はそれほど多くないことに気づくかもしれない。
完璧な人はいない
引きこもり生活が長いと、現実の人間関係の「不完全さ」に慣れていないことがある。
でも実際は、どんな人にも欠点があるし、どんなカップルにも問題がある。SNSで見る幸せそうなカップルも、投稿されない部分では色々なことがある。
大切なのは、相手の完璧さを求めるのではなく、お互いの不完全さを受け入れ合えるかどうか。
自分も完璧じゃない
理想が高い人は、往々にして自分にも厳しいことが多い。
「私なんかが理想を持つ資格があるの?」と自分を責めてしまうこともある。でも、あなたも完璧である必要はない。
引きこもり生活が長くても、人とのコミュニケーションが苦手でも、それもあなたの一部。その不完全なあなたを受け入れてくれる人が、きっといる。
理想を育て続けよう
理想は、下げる必要はない。でも、育て続けることは大切。
本当に幸せな関係とは何か。自分にとって大切な価値観とは何か。相手とどんな時間を過ごしたいのか。
これらを考え続けることで、理想はより現実的で、より深いものになっていく。
私も一人の時間が長かった分、表面的な条件ではなく、本質的な相性を重視するようになった。その結果、時間はかかったけれど、本当に大切にしたい関係に出会えた。
周りの声に惑わされない
「理想が高すぎる」という周りの声に、惑わされる必要はない。
あなたの人生を生きるのはあなた自身。妥協して不幸になるよりも、理想を持ち続けて幸せを掴む方がずっといい。
ただし、理想と現実の橋渡しをする努力は必要。一歩ずつ外の世界とつながりを作り、現実の人間関係に慣れていく。その過程で、理想も自然と現実的になっていく。
あなたの理想は正しい
最後に伝えたいことがある。
あなたの理想は、間違っていない。それはあなたが大切にしたい価値観の表れ。一人で過ごした時間があったからこそ、深く考えることができた結果。
理想を下げる必要はない。でも、理想に向かって歩く勇気を持とう。一人の時間で培った感性を大切にしながら、少しずつ現実の世界とつながっていこう。
あなたの理想を理解してくれる人は、必ずいる。その人との出会いを信じて、自分らしく歩んでいこう。
理想が高いことは、あなたの魅力の一つ。その気持ちを大切に、でも柔軟に、自分らしい幸せを見つけていこう。