気づけばもう何ヶ月も、ほとんど家から出ていない。
最初は罪悪感があった。みんなが外で充実した時間を過ごしている間、私は部屋にこもって本を読んだり、映画を見たり、ネットサーフィンをしたり。
でも長い時間が過ぎて、ふと気づいたことがある。
この「何もしない」時間が、私の恋愛に対する考え方を根本的に変えていた。
「出会い」への執着が消えた
以前は出会いに飢えていた。
合コンやイベントに参加し、マッチングアプリも試した。友達に紹介をお願いしたり、習い事を始めてみたり。とにかく「出会いの場」を求めていた。
でも家にいる時間が長くなるにつれ、そんな焦りが不思議と薄れていった。
出会いを求めて動き回っていたとき、私は本当に相手を見ていただろうか。「恋人がほしい」という欲求に支配されて、目の前の人の本質を見逃していたのではないか。
今思えば、あの頃の私は恋愛をまるでゲームのように捉えていた。攻略すべき課題として。
一人でいることの心地よさを知った
家で過ごす時間が長くなって、一人でいることの豊かさを実感した。
朝はゆっくり起きて、好きなコーヒーを淹れる。読みかけの本を開いて、気になったページで何時間でも考え込む。音楽を聴きながら、なんとなく窓の外を眺める。
こんな些細な時間が、こんなにも満たされたものだとは知らなかった。
以前は一人でいると焦っていた。「みんなは恋人と楽しんでいるのに」「私だけ取り残されている」そんな気持ちに駆られていた。
でも今は違う。一人の時間こそが、私を私にしてくれる大切な時間だと分かった。
恋愛に求めるものが変わった
家にいる時間が長くなって、私が恋愛に求めるものが変わった。
以前は刺激を求めていた。ドラマチックな展開、情熱的な愛、周りから羨ましがられるような関係。
でも今は違う。
一緒にいて安らげる人。静かに過ごせる人。お互いの時間を尊重し合える人。そんな人との出会いを求めるようになった。
派手なデートよりも、一緒に家でゆっくり過ごせる相手。話さなくても居心地の良い沈黙を共有できる相手。
私が大学でコミュニケーション学を学んだときも感じたことだが、本当に深いコミュニケーションは、言葉よりも「共にいること」から生まれることが多い。
SNSとの距離感
家にいる時間が長くなって、SNSとの付き合い方も変わった。
以前はみんなの楽しそうな投稿を見て羨ましく思ったり、自分も同じような体験をしなければと焦ったりしていた。
でも今は、画面の向こう側の華やかさが、必ずしもその人の幸せを表しているわけではないことを理解している。
そして何より、自分の幸せは他人と比較するものではないということを、深く実感した。
質より量から、量より質へ
以前は出会いの「数」を重視していた。
たくさんの人と会って、その中から運命の人を見つけるんだと思っていた。効率的に、戦略的に、まるで就職活動のように恋愛をしていた。
でも今は違う。
一人の人とじっくり向き合う時間の大切さを知った。表面的な会話を重ねるよりも、心の奥底にある想いを分かち合える関係を築きたいと思うようになった。
家で一人過ごす時間が、私に「深さ」の価値を教えてくれた。
自分を知ることの大切さ
長い間家にいて、改めて自分と向き合う時間を持った。
自分は何が好きで、何が嫌いなのか。どんなときに幸せを感じ、どんなことに価値を見出すのか。
以前は忙しく動き回っていて、そんなことを考える余裕がなかった。でも自分のことを理解していないのに、どうして相手を理解できるだろう。
自分を知ることが、良い関係を築く第一歩だということに、ようやく気づいた。
恋愛は人生の全てではない
これが一番大きな変化かもしれない。
以前は恋愛がすべてだった。恋人がいないと人生が始まらないような気がしていた。
でも家で過ごす時間を通して、人生には恋愛以外にも豊かな要素がたくさんあることを発見した。
本を読んで新しい世界を知る喜び。映画を見て感動する瞬間。料理を作って美味しく食べる満足感。植物の成長を見守る楽しみ。
恋愛も人生の一部。でも全部ではない。
今の私なりの結論
家から出ない生活を通して、私の恋愛観は確実に変わった。
急いで相手を見つけることよりも、自分を深く知ること。 たくさんの出会いよりも、一つの出会いを大切にすること。 刺激的な関係よりも、穏やかで安定した関係。
これらは消極的な選択ではない。むしろ、自分と向き合った結果たどり着いた、積極的な選択。
もちろん、いつかは外に出て人と会うことも大切。でも今の私は焦らない。
自分のペースで、自分らしく。そうやって生きていれば、きっと同じような価値観を持つ人との出会いが待っている。
家にいる時間が教えてくれたのは、恋愛における本当の豊かさとは何かということ。
それは派手さでも刺激でもない。お互いを深く理解し、尊重し、安らぎを与え合えること。
今日も窓辺でコーヒーを飲みながら、そんなことを静かに考えている。