「真面目すぎる」「一途すぎる」「重い」
好きになった相手から、そんな言葉をかけられたことがある。その時の心の痛みは、今でも鮮明に覚えている。
私は間違っていたのだろうか。一人を深く愛することは、そんなにも罪深いことなのだろうか。
一途であることへの憧れ
小さい頃から、私は一途な恋愛に憧れていた。
お祖母ちゃんとお祖父ちゃんが、50年以上連れ添っている姿を見て育った。母も父を一筋に愛し続けている。そんな家庭で育った私にとって、一途であることは当然の価値観だった。
軽々しく恋愛を繰り返すより、一人の人を深く愛し続ける方が美しい。そう信じていた。
でも現実の恋愛は、私の理想とは程遠いものだった。
現代恋愛における「重さ」
大学で出会った彼に本気になった時、私は全力で愛した。
彼のことを真剣に考え、将来のことまで想像した。記念日を大切にし、小さなことでも覚えていた。彼の好きなものを覚え、彼が喜ぶことを考えて行動した。
でも彼からは「もっと軽く付き合えないの?」と言われた。
その言葉に深く傷ついた。私にとって恋愛は軽いものではない。好きになったら、その人のことを真剣に考えずにはいられない。それが私の愛し方だった。
「軽い関係」が好まれる時代
コミュニケーション学を学んでいた時、現代の恋愛観について研究したことがある。
多くの人が「束縛されたくない」「自由でいたい」と答えていた。深い関係よりも、気軽な関係を好む傾向が強くなっている。
SNSの影響もあるのかもしれない。いつでも新しい出会いがある環境では、一人に集中することがもったいないと感じるのかもしれない。
でも、そんな時代だからこそ、一途に愛してくれる人の価値は高いはずなのに。なぜか「重い」とネガティブに捉えられてしまう。
一途であることの美しさ
それでも私は、一途であることは美しいと思う。
相手のために時間を使い、気持ちを向け、愛情を注ぐこと。それは決して当たり前のことではない。とても尊いこと。
一途な人は、相手を深く理解しようとする。相手の小さな変化に気づく。相手の幸せを自分のことのように願う。
こんなに美しい愛の形があるだろうか。
でも、時には重荷になる
でも正直に言うと、一途であることが自分にとって重荷に感じることもある。
好きになると、その人のことばかり考えてしまう。他のことが手につかなくなる。友達との時間も、趣味の時間も、すべてがその人に関連付けられてしまう。
相手の返信が遅いと不安になる。相手が他の人と楽しそうにしていると嫉妬してしまう。自分でも嫌になるくらい、その人に依存してしまう。
これは相手にとっても重荷だろうし、何より自分が苦しい。
バランスを見つけること
最近、気づいたことがある。
一途であることと、依存することは違う。愛することと、束縛することも違う。
本当に一途な愛とは、相手の幸せを第一に考える愛。たとえそれが自分にとって辛いことでも、相手が笑顔でいられることを願う愛。
相手の自由を奪うような愛は、実は自分の不安や独占欲から生まれている。それは一途さではなく、執着かもしれない。
一途さを大切にしながらも
一途であることをやめる必要はない。でも、その一途さを健全な形で表現することは学べる。
相手を信頼すること。 自分の時間も大切にすること。 相手の価値観を尊重すること。 依存ではなく、自立した上での愛を築くこと。
これらができれば、一途さは美徳になる。相手にとって重荷ではなく、宝物になる。
あなたの一途さは宝物
もしあなたが一途で真面目だと言われて傷ついているなら、その傷はとてもよく分かる。
でも、あなたの一途さは決して悪いものではない。ただ、それを理解してくれる人に出会えていないだけ。
軽い恋愛を好む人もいれば、深い関係を求める人もいる。あなたと同じように、真剣な愛を求めている人は必ずいる。
自分らしい愛し方を大切に
無理して軽やかになる必要はない。でも、一途さが執着にならないよう、自分と向き合うことは大切。
相手のことを思うあまり、自分を見失わないように。 愛することと支配することを混同しないように。 相手の幸せを願う気持ちを、純粋に保てるように。
そうやって成長しながら、あなたらしい愛し方を貫いていこう。
きっといつか、あなたの一途さを美徳として受け取ってくれる人との出会いが待っている。その人のためにも、今の自分を大切に育てていこう。
一途であることは、決して恥ずかしいことではない。むしろ、この軽薄な時代にあって、とても貴重で美しい資質。
その気持ちを大切に、でも健全に、愛していこう。