「期待するから裏切られる。最初から期待しなければ傷つかない」
そう思ったことはありませんか?
私はある。何度も、何度も。
友達との約束がドタキャンされたとき。好きな人からの連絡が来なかったとき。頑張った仕事が評価されなかったとき。
そのたびに「期待した私がバカだった」と自分を責めて、「もう期待するのはやめよう」と心に誓う。
でも、本当にそれで楽になれるのだろうか。
期待しないことの安全さ
確かに、期待しないことには安全さがある。
期待していなければ、裏切られることはない。がっかりすることもない。心が揺さぶられることもない。
私も大学時代、何度かそうやって自分の心を守ろうとした。コミュニケーション学を学びながら、皮肉にも人とのコミュニケーションに期待することを恐れていた。
「どうせ理解してもらえない」「どうせ期待通りにはいかない」
そんな風に最初から諦めていれば、確かに傷つくことは少ない。でも同時に、喜びを感じることも少なくなった。
期待することの美しさ
でも考えてみてほしい。期待するということは、実はとても美しいことではないだろうか。
期待するということは、相手を信じるということ。 期待するということは、未来に希望を持つということ。 期待するということは、自分の心を開くということ。
誰かに期待するとき、私たちは相手の可能性を信じている。「この人なら、きっと」という気持ち。それは、相手への信頼の表れでもある。
期待しない生き方の限界
期待しない生き方を続けていると、やがて気づくことがある。
期待しないということは、実は相手を信じないということでもある。そして、自分自身の可能性も信じないということでもある。
「どうせダメだろう」「きっと裏切られる」「期待するだけ無駄」
そんな思考が習慣になると、人生そのものが色褪せて見えてくる。新しいチャンスが目の前にあっても、「どうせ」という気持ちが先に立ってしまう。
私も一時期、そんな状態になったことがある。安全だったけれど、同時にとても孤独だった。
期待と現実のバランス
では、どうすればいいのだろう。
期待することの美しさを保ちながら、裏切られたときの傷を最小限に抑える方法はあるのだろうか。
答えは、期待の仕方にあると思う。
相手に100%を期待するのではなく、70%程度に調整する。 完璧な結果を期待するのではなく、「良い方向に向かってくれたらいいな」程度にとどめる。 期待外れだったときも、「人間だから仕方ない」と受け入れる余裕を持つ。
これは冷めた態度ではない。現実的な優しさだと思う。
小さな期待から始める
いきなり大きな期待を持つ必要はない。
まずは小さなことから期待してみる。
「今日の天気が良くなりますように」 「この本が面白いといいな」 「あの人が元気でいますように」
そんな小さな期待から始めて、少しずつ心を開いていく。小さな期待なら、たとえ裏切られても立ち直りやすい。
期待することは生きること
私は今、こう思っている。
期待することは、生きることそのものだ。
明日という日が来ることを期待し、季節が変わることを期待し、大切な人が幸せでいることを期待し、自分自身が少しずつ成長していることを期待する。
これらの期待がなければ、私たちは生きていけない。
もちろん、すべての期待が叶うわけではない。でも、期待することで私たちは前に進むことができる。希望を持つことができる。
裏切られても大丈夫
期待して裏切られることは、確かに辛い。
でも、それで終わりではない。裏切られた経験も、私たちを強くしてくれる。より現実的な期待を持つことを教えてくれる。そして、本当に信頼できる人や物事を見極める力を与えてくれる。
何度裏切られても、また期待できる心を持っていること。それは、あなたの強さの証拠。諦めない心の美しさの表れ。
あなたの期待は無駄じゃない
あなたが誰かに、何かに期待することは、決して無駄ではない。
たとえその期待が叶わなくても、期待したという事実そのものに価値がある。それは、あなたが希望を捨てずに生きている証拠だから。
期待しない方が楽かもしれない。でも、期待することの方がずっと豊かで、ずっと人間らしい。
今日も小さく期待してみよう
今日も、小さなことから期待してみよう。
大切な人からの連絡。 美味しいコーヒーとの出会い。 思いがけない笑顔。 新しい発見。
そして、その期待の多くは叶わないかもしれない。でも、いくつかは叶うかもしれない。そして、期待している時間そのものが、あなたの人生を豊かにしてくれる。
期待して裏切られても大丈夫。また期待すればいい。
そうやって期待し続けることができるあなたは、とても素敵で、とても勇敢で、とても美しい。