昔は大好きだった恋愛映画が、いつの間にか見るのが辛くなってしまった。
レンタルビデオ店で新作を借りてきては、一人でポップコーンを作って、わくわくしながら見ていたあの頃。画面の中の主人公と一緒にドキドキして、ハッピーエンドに心を躍らせていた。
でも今は、恋愛映画の予告編を見るだけでも、なんだか胸が苦しくなる。
あの頃は希望だった
高校生や大学生の頃、恋愛映画は「希望」だった。
「いつか私にもこんな素敵な恋が待っているんだ」 「運命的な出会いがあるかもしれない」 「こんな風に愛されてみたい」
スクリーンの中の恋愛は、未来の自分の可能性を表していた。主人公の女性は、まるで未来の自分の姿のように思えた。
私も大学でコミュニケーション学を学びながら、恋愛におけるコミュニケーションの研究に興味を持っていた。映画の中の会話やしぐさを分析して、「こうやって想いを伝えるのか」と勉強していた。
恋愛映画は教科書であり、希望であり、楽しみだった。
現実との距離が見えてしまった
でも年を重ねるにつれて、映画と現実の距離が見えるようになってしまった。
映画の中では、偶然の出会いから始まる恋がある。空港で、カフェで、本屋で。そんな出会いを待ち続けたけれど、実際の日常はもっと地味で、もっと平凡だった。
映画の中では、愛のために仕事を投げ出したり、遠い国まで追いかけたりする。でも現実は、そんなドラマチックな選択をする余裕も勇気もない。
映画の中では、すべての恋がハッピーエンドで終わる。でも現実は、片思いが実らなかったり、付き合ってもうまくいかなかったり、そもそも出会いがなかったりする。
自分と比べてしまう痛み
一番辛いのは、映画の主人公と自分を比べてしまうこと。
映画の女性は、いつも魅力的で、積極的で、愛される要素に満ちている。そんな彼女たちを見ていると、自分の現実がみじめに思えてくる。
「私だったら、あんな風に告白できない」 「私だったら、そんなにモテないだろうな」 「私には、あんな素敵な恋人は現れないかも」
そんな気持ちが心を占めて、純粋に映画を楽しめなくなってしまった。
孤独感が増してしまう
恋愛映画を一人で見ていると、自分の孤独感がより強く感じられる。
カップルで映画館に来ている人たちを見かけると、「私はいつも一人だな」と思ってしまう。映画の中の幸せそうなカップルを見ていると、「私にはこんな体験がないな」と寂しくなる。
昔は一人で映画を見ることが平気だった。むしろ好きだった。でも今は、一人でいることの重みが以前よりもずっと感じられる。
でも、完全に諦めたわけではない
それでも、恋愛映画を完全に避けているわけではない。
時々、無性に見たくなる。辛いとわかっていても、やっぱりときめきたい気持ちもある。現実逃避をしたい時もある。
そんな時は、古い映画を選ぶ。昔見た映画なら、ストーリーがわかっているから、変な期待をしなくて済む。ノスタルジックな気持ちで、昔の自分を思い出しながら見ることができる。
見方を変えてみる
最近は、恋愛映画の見方を少し変えてみている。
恋愛の部分ではなく、主人公の女性の成長に注目してみたり、友情の描写に心を向けてみたり、映像の美しさや音楽の素晴らしさを楽しんでみたり。
そうすると、恋愛以外の部分でも十分に楽しめることに気づく。女性の自立や挑戦、家族との関係、友達との絆。映画にはたくさんの要素が詰まっている。
自分なりの楽しみ方を見つける
恋愛映画を見るのが辛くなったのは、自分が成長した証拠でもある。
現実を知り、自分を客観視できるようになったからこそ、以前のような純粋な楽しみ方ができなくなった。でもそれは決して悪いことではない。
今の自分なりの楽しみ方を見つければいい。辛い時は無理して見なくてもいいし、見たい時は自分のペースで見ればいい。
いつかまた、素直に楽しめる日が来るかも
もしかしたら、いつかまた恋愛映画を素直に楽しめる日が来るかもしれない。
実際に素敵な恋愛を経験したときに、「ああ、映画みたいなこともあるんだな」と思えるかもしれない。あるいは、年を重ねて心に余裕ができたときに、映画の恋愛を温かい目で見られるようになるかもしれない。
今は辛くても、それは今の心の状態であって、永遠に続くものではない。
あなたの気持ち、よくわかる
恋愛映画が辛くなった気持ち、本当によくわかる。
昔は心躍らせていたものが辛くなるのは、とても寂しいこと。でもそれは、あなたが現実と向き合っている証拠でもある。
無理して楽しもうとしなくてもいい。今は他のジャンルの映画を楽しんだり、本を読んだり、音楽を聴いたり、他の方法で心を満たしてもいい。
そして時々、恋愛映画を見たくなったら、その気持ちも大切にしよう。辛くても、ときめきたい気持ちがあることは、あなたの心が生きている証拠だから。
あなたのペースで、あなたなりの楽しみ方を見つけていこう。きっと大丈夫。