最近、友達の恋愛話を聞いていて、ふと思うことがある。
「私は相手の幸せを本当に願える恋愛がしたい」
それは、相手を自分のものにしたいという欲求ではなく、その人が笑顔でいてくれることを心から望む愛。そんな恋愛ができるだろうか。
所有欲という名の愛の勘違い
恋愛において、私たちはしばしば「愛」と「所有欲」を混同してしまう。
「あの人は私のもの」 「私だけを見ていてほしい」 「他の人とは関わってほしくない」
こうした気持ちが芽生えるのは自然なこと。でも、それが愛のすべてではない。
私も過去に、好きな人を束縛してしまった経験がある。相手の行動が気になって、LINEの返信が遅いと不安になって、他の女性との会話を見るだけで胸が苦しくなった。
その時の私は、相手を愛していたつもりだった。でも今思えば、自分の不安を埋めるために相手を利用していただけだったのかもしれない。
本当の愛は自由を与える
大学でコミュニケーション学を学んでいた時、印象的な言葉に出会った。
「愛は相手を自由にすること」
最初は理解できなかった。愛しているなら、もっと近くにいたいし、もっと深くつながりたいと思うのが自然では?
でも時間をかけて考えるうちに、その意味が少しずつ分かってきた。
相手を自由にするということは、相手の選択を尊重すること。相手の夢を応援すること。たとえその道が自分から離れる方向だったとしても。
幸せを願うということ
相手の幸せを願うということは、時として自分の願いと反することもある。
例えば、相手が遠くの街で新しい仕事を始めたいと言ったとき。 例えば、相手が一人の時間を大切にしたいと言ったとき。 例えば、相手がまだ恋愛よりも他のことに集中したいと言ったとき。
そんな時に、「寂しいけれど、あなたが幸せならそれでいい」と心から思えるかどうか。
私はまだ完璧にはできない。でも、少しずつそんな愛し方を学んでいきたいと思っている。
自分の幸せも大切に
ただし、相手の幸せを願うからといって、自分を犠牲にする必要はない。
自分の気持ちを押し殺して、相手に合わせ続けるのは愛ではない。それは自己犠牲という名の依存。
本当に相手の幸せを願うなら、まず自分が幸せでいることが大切。不幸な人が相手を幸せにすることはできないから。
自分の気持ちも大切にしながら、相手の気持ちも尊重する。そのバランスを見つけることが、健全な恋愛の第一歩。
一緒にいることを選んでもらう
相手の幸せを願える恋愛では、「一緒にいなければならない」ではなく「一緒にいたいと思ってもらう」ことを目指す。
義務感や罪悪感ではなく、純粋な喜びで選んでもらいたい。
そのためには、自分自身が魅力的でいること。相手にとって「一緒にいると楽しい人」「一緒にいると成長できる人」でいること。
でも、それも相手のためだけではなく、自分のためでもある。自分を磨くことで得られる充実感は、どんな恋愛よりも確実な幸せをもたらしてくれる。
手放すことの美しさ
もし相手が他の道を選んだとしても、それを美しく受け入れられる強さを持ちたい。
「あなたとの時間は幸せだった。新しい道でも幸せでいてね」
そう言って笑顔で送り出せる自分でいたい。
それは諦めることではない。本当の意味で愛することだと思う。
自分も愛される価値がある
相手の幸せを願うということは、自分を軽んじることではない。
自分も同じように、誰かに幸せを願ってもらえる価値のある人間。自分の幸せも、同じように大切で尊いもの。
だから、一方的に与え続ける関係ではなく、お互いが相手の幸せを願い合える関係を築きたい。
今日からできること
相手の幸せを願える恋愛をするために、今日からできることがある。
まず、自分自身を幸せにすること。好きなことをして、好きな人と過ごして、自分の人生を充実させること。
そして、日常の小さな場面で練習すること。友達の成功を心から喜ぶこと。家族の選択を尊重すること。
恋愛だけでなく、すべての人間関係で「相手の幸せを願う」練習をしていれば、きっと素敵な恋愛もできるようになる。
理想を恐れずに
「そんな理想的な恋愛なんて現実にあるの?」
そう思うかもしれない。確かに簡単ではない。でも、理想を持つことを恐れる必要はない。
理想があるからこそ、それに向かって成長できる。完璧でなくても、その方向に向かって歩んでいくことに意味がある。
私も完璧にはできない。時には嫉妬もするし、不安にもなる。でも、「相手の幸せを願える自分でいたい」という気持ちを忘れずにいたい。
そんな恋愛ができる日を信じて、今日も少しずつ、自分らしく歩んでいこう。
きっと同じような価値観を持つ人との出会いが、どこかで待っている。