今朝も鏡の前で30分以上かけて服を選んだ。
トップスとボトムスの組み合わせ、アクセサリーの色合わせ、メイクとのバランス。頭の中で何通りものコーディネートをシミュレーションして、やっと納得のいく仕上がりに。
でも、一日が終わって家に帰る頃には、いつもと同じ現実が待っている。
誰も気づいてくれなかった。
期待していた反応
心の奥で、密かに期待していた。
「今日、すごく可愛いね」 「そのコーディネート素敵」 「何か雰囲気変わった?」
そんな言葉を誰かが掛けてくれるかもしれない。特に、あの人が気づいてくれるかもしれない。
でも現実は、いつもと変わらない日常。みんな自分のことで忙しくて、私の小さな変化になんて気づかない。
そして一人になった時、虚しさがじわりと心を覆う。
お洒落する理由って何だろう
なぜお洒落をするのか、改めて考えてみる。
誰かに褒められたいから? 可愛く見られたいから? 注目されたいから?
もちろん、それらも理由の一つ。でも、もっと根本的な理由があるような気がする。
私が大学でコミュニケーション学を学んでいた時、興味深い研究を知った。人は服装を通じて自分のアイデンティティを表現し、同時に他者とのつながりを求めている、という内容だった。
つまり、お洒落は自己表現であり、同時にコミュニケーションの一種でもある。
見られていないわけではない
でも本当に、誰も見ていないのだろうか。
実は、思っている以上に人は見ている。ただ、それを言葉にしないだけ。
「可愛いな」と思っても、声には出さない。 「センス良いな」と感じても、わざわざ伝えない。 「今日いつもと違うな」と気づいても、コメントしない。
みんな心の中では色んなことを思っているけれど、それを表に出すのは案外難しい。特に日本人は、相手を褒めることに慣れていない。
私自身も振り返ってみると、素敵だと思った人に「素敵ですね」と伝えられたことは少ない。恥ずかしかったり、大げさに思われるのが嫌だったり。
見てもらうためのお洒落の限界
誰かに見てもらうためだけのお洒落には、どこか限界がある。
相手の好みに合わせようとして、自分らしさを失ってしまう。 流行を追いかけすぎて、本当に好きなものが分からなくなる。 褒められなければ、すべてが無意味に感じてしまう。
そして何より、相手の反応に一喜一憂する自分に疲れてしまう。
私も一時期、「モテるファッション」ばかりを研究していた時期がある。雑誌の特集を読み漁り、男性ウケの良い服装を心がけて。でも、その格好をしている時の自分は、どこか他人のような気がした。
自分のためのお洒落
最近気づいたことがある。
一番気分が良いのは、純粋に自分が好きな格好をしている時だということ。
色の組み合わせに心が躍る時。 お気に入りのアクセサリーを身に着けている時。 鏡に映る自分を見て、思わず微笑んでしまう時。
そういう瞬間に、お洒落の本当の喜びがあるのかもしれない。
誰かに褒められなくても、自分が満足していれば、それで十分。むしろ、自分で自分を認めてあげることの方が大切。
内側から滲み出る魅力
興味深いことに、自分のためにお洒落をしている人の方が、結果的に魅力的に見えることが多い。
自信を持って着こなしている人。 心から楽しんでファッションを選んでいる人。 自分らしさを大切にしている人。
そういう人には、自然と目が向く。表面的なテクニックを超えた、内側から滲み出る魅力がある。
小さな変化を自分で認める
今日のコーディネートも、決して無駄ではなかった。
誰にも褒められなかったかもしれないけれど、鏡の前でちょっと嬉しくなった瞬間があった。新しい組み合わせに挑戦できた。自分なりの美意識を表現できた。
そういう小さな積み重ねが、きっと自分を作っていく。
他人からの承認を待つよりも、まず自分で自分の努力を認めてあげよう。
「今日も可愛くできた」 「このコーディネート、我ながら良い感じ」 「新しいことに挑戦できた自分、えらい」
そんな風に、自分で自分を褒めてあげる時間を持ってみよう。
お洒落は自分との対話
お洒落は、自分との対話でもある。
今日はどんな気分? 何色が着たい? どんな自分でいたい?
そうやって自分の心と向き合いながら選ぶ服は、きっと一番似合う。そして、そうやって選んだ服を着ている時の自分は、一番輝いている。
見てくれる人は必ずいる
でも、きっと見てくれている人はいる。
あなたの努力に気づいている人。 あなたのセンスを素敵だと思っている人。 あなたらしさに魅力を感じている人。
ただ、それを言葉にするタイミングがまだ来ていないだけ。
そして何より、毎日鏡で会う自分が、一番の理解者。その人に胸を張れるようなお洒落を続けていこう。
今日も、明日も、自分のために素敵な一日を始めよう。
誰かが見ていようといまいと、あなたの努力は美しい。あなたのお洒落は、あなた自身への愛情表現なのだから。