久しぶりに男性の友人とカフェで話していたとき、ふと疑問が浮かんだ。
私たちの関係は、本当に「友情」なのだろうか。
彼は私の話をよく聞いてくれるし、私も彼の相談に乗る。一緒にいて楽しいし、価値観も合う。でも時々、この心地よさが友情なのか、それとも別の何かなのか、分からなくなる。
曖昧な境界線
男女の友情について考えるとき、いつも境界線の曖昧さに戸惑う。
同性の友人なら、「好き」という感情は純粋に友情として受け取れる。でも異性が相手だと、その「好き」にはいろんな意味が込められる可能性がある。
私が大学でコミュニケーション学を学んでいたとき、人間関係の複雑さについて深く考えるようになった。理論的には「プラトニックな関係」は存在する。でも実際の感情は、そんなにきれいに分類できるものではない。
本当に恋愛感情はないのか
正直に言うと、完全に恋愛感情がないと断言できるかと言われると、自信がない。
彼といると安心するし、楽しい。彼が他の女性の話をすると、なんとなく複雑な気持ちになる。これは嫉妬なのか、それとも友人として心配しているだけなのか。
でも、だからといって恋人になりたいかと言われると、それも違う気がする。今の関係が心地いいし、変わってしまうのが怖い。
このモヤモヤした気持ちを、どう名前をつけたらいいのだろう。
相手の気持ちも分からない
さらに複雑なのは、相手の気持ちが見えないこと。
彼は私をどう思っているのだろう。友人として大切にしてくれているのは分かる。でも、それ以上の感情があるのかないのか。
聞くわけにもいかない。万が一、私が勘違いしていたら恥ずかしいし、もし本当に恋愛感情があったとしても、それに応えられるか分からない。
だから今日も、なんとなく距離感を保ちながら、この心地よい関係を続けている。
社会の目という重荷
周りからの視線も気になる。
一緒にいるところを見られると、「付き合ってるの?」と聞かれることがある。「ただの友達」と答えても、「本当に?」という顔をされる。
なぜ男女が一緒にいると、恋愛関係だと思われるのだろう。友情という可能性を、なぜ信じてもらえないのだろう。
でも、私自身も確信を持って「友情」だと言えないから、その疑いの目も理解できてしまう。
パートナーができたときのこと
一番複雑なのは、どちらかに恋人ができたときのこと。
今の関係を続けることはできるのだろうか。新しいパートナーは、私たちの関係を理解してくれるのだろうか。
正直、彼に恋人ができたら、今のような距離感では付き合えないと思う。それは嫉妬というより、相手の女性への配慮。
でも、そうなったら私たちの関係は何だったのだろう。本当に友情だったなら、恋人ができても変わらないはず。変わってしまうということは、やっぱり友情以上の何かがあったということなのだろうか。
友情以上恋人未満の価値
でも最近、気づいたことがある。
この曖昧な関係にも、固有の価値があるのではないかということ。
恋人のような責任感やプレッシャーはないけれど、同性の友人とは違う安心感がある。お互いを異性として意識しているからこそ生まれる、独特の心地よさ。
これを無理に「友情」や「恋愛」に分類する必要はないのかもしれない。
純粋な友情は存在するのか
では、恋愛要素が全くない男女の友情は存在するのだろうか。
きっと存在する。でも、それは出会った瞬間から「恋愛対象外」として認識された関合に限られるのかもしれない。年齢差があったり、既婚者同士だったり、価値観が根本的に違ったり。
一方で、同世代で価値観が合う男女が深い関係になったとき、完全に恋愛感情を排除することは、実は難しいのかもしれない。
曖昧さを受け入れる
今の私は、この曖昧さを受け入れることにした。
恋愛でもなく、純粋な友情でもない。でも、それでいい。
人間の感情は、きれいに分類できるほど単純ではない。グレーゾーンにも、固有の美しさがある。
大切なのは相互の尊重
重要なのは、お互いを尊重すること。
相手の気持ちを勝手に決めつけたり、自分の感情を押し付けたりしない。今の関係を大切にしながら、自然な流れに任せる。
もしかしたら将来、恋愛に発展するかもしれない。 もしかしたら、どちらかに他の相手ができて、距離が生まれるかもしれない。 もしかしたら、このまま長く続く特別な関係になるかもしれない。
どの未来も受け入れよう。
今この瞬間を大切に
答えの出ない問いに悩み続けるより、今この瞬間の心地よさを大切にしたい。
彼と話していて楽しいこと。 お互いを思いやれること。 自然体でいられること。
これらはすべて、かけがえのない宝物。
恋愛抜きの男女の友情が成立するかどうかは、まだ分からない。でも少なくとも、今の私たちの関係には確かな価値がある。
それで十分。
今日も、この特別な関係を大切にしながら、自分らしく歩んでいこう。