夜中にふと目が覚めて、隣に誰もいないベッドの空間に気づく瞬間がある。
その瞬間、記憶が勝手に巻き戻される。恋人がいた頃の自分が、鮮明に蘇ってくる。
あの頃は毎日が違って見えていた。同じ部屋なのに、同じ街なのに、すべてが輝いて見えていた。
あの頃の私は、もっと輝いていた
恋人がいた頃の写真を見返すと、今の自分とは違う人がそこにいる。
表情が明るくて、笑顔に力があって、なんというか、生き生きとしている。服装も髪型も、今よりもっと丁寧だった。
「明日、会える」という楽しみが、毎日をキラキラさせていた。週末の予定を立てるのも、新しい服を選ぶのも、すべてに意味があった。
今の私は、あの頃の私に比べて、なんだか色褪せて見える。
愛されることで見えていた世界
恋人がいるということは、ただ一人じゃないということ以上の意味があった。
自分が価値のある人間だと実感できていた。誰かにとって特別で、大切な存在だと信じることができていた。
「おはよう」のメッセージで一日が始まり、「おやすみ」のメッセージで一日が終わる。その間に交わされる他愛のない会話が、日常を支えていた。
一人でコーヒーを飲んでいても、「今度二人でここに来よう」と思えた。映画を見ていても、「あの人も好きそう」と考えられた。すべてが二人の未来につながっていた。
今は一人で完結してしまう毎日
でも今は違う。
コーヒーを飲んでも、一人で完結。映画を見ても、感想を共有する相手がいない。新しい服を買っても、誰に見せるでもない。
友達に話すことはできるけれど、それは恋人に話すのとは全然違う。恋人は日常のすべてを共有できる存在だった。
私が大学でコミュニケーション学を学んでいたとき、「親密な関係」について研究したことがある。人間は誰かと深くつながることで、自己肯定感を高め、生きる意味を見出すという理論。
頭では理解していたけれど、実際に体験すると、その力の大きさに驚いた。そして、それを失ったときの喪失感の大きさにも。
あの頃に戻りたいという切なさ
時々、あの頃に戻れたらと思ってしまう。
恋人がいた頃の自分に戻れたら。あの輝きを取り戻せたら。あの安心感をもう一度感じられたら。
でも、同時に分かっている。同じ人と同じ関係に戻ることはできない。時間は一方向にしか流れない。
だからこの切なさは、単なる懐古趣味ではない。失われたものへの哀悼であり、今の自分への不安でもある。
「恋人がいた頃の自分」が本当の自分?
でも、本当にあの頃の自分の方が良かったのだろうか。
確かに輝いて見えたけれど、それは恋人という存在に依存していた輝きでもあった。相手がいなければ成り立たない幸せだった。
今の私は、誰にも依存していない。一人で立っている。それは寂しいけれど、ある意味で純粋な自分でもある。
恋人がいた頃は、相手に合わせて自分を変えていた部分もあった。好きではない映画を見たり、興味のない話題に合わせたり。それも愛の形だったけれど、本当の自分を少し押し殺していたことも事実。
一人の時間に見つけたもの
恋人がいなくなって、確かに失ったものは大きい。
でも、得たものもある。
自分の時間を完全に自分のために使えるようになった。本当に興味のあることを深く追求できるようになった。友達との時間も、以前より大切にできるようになった。
そして何より、一人でいることの強さを知った。誰かに愛されなくても、自分で自分を支えることができるという実感。
これは決して小さなことではない。
今夜もまた思い出してしまうけれど
それでも今夜も、恋人がいた頃の自分を思い出してしまうだろう。
あの安心感が恋しくて、あの特別感が懐かしくて、少し涙が出るかもしれない。
でも、それでいい。
思い出すことは悪いことではない。あの経験があったからこそ、愛し愛されることの素晴らしさを知っている。次に誰かと出会ったとき、より深くその価値を理解できる。
過去の自分も今の自分も、どちらも本当
恋人がいた頃の輝いていた自分も本当。 今の一人で頑張っている自分も本当。
どちらが良い悪いではなく、どちらも私の大切な一部。
あの頃の経験があったから、今の強さがある。今の強さがあるから、次の出会いをより良いものにできる。
明日はまた新しい一日
今夜は思い出に浸ってもいい。懐かしんでもいいし、少し泣いてもいい。
でも明日の朝が来たら、また今の自分として歩いていこう。
恋人がいた頃の自分も素敵だったけれど、今の自分も十分に素敵。そして、これからの自分はもっと素敵になれる。
過去は過去として大切に心の中にしまって、今日という日を、今の自分らしく生きていこう。
きっといつか、今の一人の時間も、「あの頃は一人で頑張っていたな」と懐かしく思い出す日が来る。その時の自分は、今の自分を誇らしく思ってくれるはず。
だから今夜も、そっと自分を抱きしめて眠ろう。