先週、友達に誘われて婚活パーティーに参加した。
「楽しいよ、きっと素敵な人に出会える」という言葉を信じて、久しぶりにお洒落をして出かけた。でも帰り道、私は深い失望感に包まれていた。
そこで見たものは、確かに人間の本性だった。でも、それはあまりにも醜いものだった。
値踏みの視線
パーティー会場に入った瞬間から、感じた視線。
まるで商品を査定するような、上から下まで舐めるような視線。顔、スタイル、服装、持ち物。すべてが品定めされている感覚。
私も無意識のうちに、同じような視線を向けていたのかもしれない。でも気づいたとき、自分が嫌になった。
人を外見で判断することは日常的にあることだけれど、これほど露骨で機械的な評価の場を目の当たりにすると、人間の浅ましさを感じずにはいられなかった。
計算された会話
会話も、どこか計算されていた。
相手の職業を聞き、年収を探り、結婚に対する価値観を確かめる。まるでマーケティングリサーチのような質問の数々。
「お仕事は何をされているんですか?」の背後には、「経済力はありますか?」という質問が隠れている。 「趣味は何ですか?」の背後には、「私と合いそうですか?」という計算がある。
私も大学でコミュニケーション学を学んだから、人間関係における戦略的な会話は理解している。でも、これほど露骨だと、心が疲れてしまう。
競争と排除の論理
女性同士の間にも、暗黙の競争があった。
美しい人には冷たい視線が向けられ、人気のない人は自然と孤立していく。まるで椅子取りゲームのような、誰かが勝てば誰かが負ける構造。
私はその中間くらいの位置にいたと思う。でも、その競争に参加している自分が情けなくて、途中で抜け出したくなった。
演じることへの疲労
みんな、本当の自分ではない「理想的な自分」を演じていた。
普段は人見知りなのに、明るく社交的に振る舞う女性。 実際は大雑把なのに、繊細で家庭的なふりをする女性。 本当はクールなのに、甘えん坊のキャラクターを演じる女性。
男性も同じだった。普段は内向的なのに、積極的でリーダーシップがあるふりをしている人。本当は優しいのに、強くて頼りがいがあるような態度を作っている人。
みんな疲れているのが分かった。でも、演じることをやめられない。
システムとしての婚活
婚活パーティーは、効率的なシステムだと思う。
短時間で多くの人と出会い、条件を確認し、マッチングする。恋愛市場における合理的な解決策。
でも、そのシステムの中で、人間の複雑さや深さが削ぎ落とされていく。人は条件の集合体になり、恋愛は取引になっていく。
私が一番ショックだったのは、自分もそのシステムに参加していたということ。気づかないうちに、人を条件で判断し、自分を商品として売り込んでいた。
それでも理解できる気持ち
でも、参加している人たちを責めることはできない。
みんな、真剣に人生のパートナーを探している。時間は有限で、選択肢は限られている。効率的に相手を見つけたいと思うのは自然なこと。
私も含めて、みんな孤独だった。誰かとつながりたくて、愛されたくて、必要とされたくて、そこにいた。
その気持ちは純粋で、決して醜いものではない。
システムが生み出す醜さ
醜いのは人間ではなく、システムなのかもしれない。
恋愛を商品化し、人間を条件で分類し、効率性を最優先にするシステム。そのシステムの中では、どんなに善良な人でも、醜い行動を取らざるを得なくなる。
現代社会の構造的な問題が、婚活パーティーという場に凝縮されて現れているのかもしれない。
深いつながりへの渇望
帰り道、一人になったとき、強く思った。
表面的な条件ではなく、深いところでつながれる人と出会いたい。 演じることなく、ありのままの自分でいられる関係を築きたい。 競争ではなく、協力し合える相手がほしい。
でも、そんな出会いは、婚活パーティーのような場では難しいのかもしれない。
別の出会い方を模索したい
きっと他にも、同じような違和感を抱いている人がいると思う。
効率性より深さを求める人。 条件より相性を重視する人。 競争より共感を大切にする人。
そんな人たちと出会える場所や方法があるはず。読書会、勉強会、ボランティア活動、趣味のサークル。もっと自然で、人間らしい場所で。
人間の多面性を信じたい
婚活パーティーで見た人々の醜さは、確かに人間の一面だと思う。
でも、それがすべてではない。同じ人たちも、違う環境では優しさや思いやりを見せるはず。家族に対しては温かく、友達に対しては誠実で、困っている人には手を差し伸べるはず。
人間は多面的で複雑な存在。一つの場面で見た一面だけで、その人のすべてを判断してはいけない。
自分自身への反省
一番反省しているのは、自分も同じような行動を取っていたということ。
知らないうちに、人を条件で判断していた。 自分を良く見せようと、演じていた。 他の女性を競争相手として見ていた。
その醜さも、確かに私の一部。でも、それを認めることで、次は違う行動を取れるかもしれない。
それでも人を信じていたい
婚活パーティーで失望したけれど、人間そのものに絶望したわけではない。
きっとどこかに、真摯に愛を求めている人がいる。 本当の自分でいることを大切にしている人がいる。 深いつながりを求めている人がいる。
そんな人との出会いを諦めたくない。たとえ時間がかかっても、表面的ではない、本当のつながりを見つけたい。
婚活パーティーで見た醜さは、現代社会の一つの現実。でも、それがすべてではない。人間にはもっと美しい面があることを、私は知っている。
だから今度は、違う場所で、違う方法で、本当の出会いを探してみようと思う。