夜中にベッドで考えることがある。
私は愛されたい。心の底から、誰かに大切にされたい、必要とされたい、愛されたいと思う。
でも同時に、どうやって人を愛したらいいのかがわからない。愛するって、具体的に何をすることなんだろう。
この矛盾した気持ちに、長い間悩んできた。
愛されることばかり考えてしまう
気がつくと、いつも「愛されること」ばかり考えている。
「この人は私を好きになってくれるだろうか」 「どうしたら魅力的に見えるだろうか」 「なぜあの人は私に興味を示してくれないのだろうか」
でも、相手を愛することについてはあまり考えていない。相手が何を求めているか、何をしてあげられるか、どうやって相手を幸せにできるか。
これは決して自分勝手だからではない。愛し方を知らないから、愛されることしか想像できないのだ。
見本がなかった
私が大学でコミュニケーション学を学んでいた頃、家族関係について研究する機会があった。そのとき気づいたのは、愛し方は誰かから教わるものだということ。
でも、私の家庭では愛情表現が少なかった。両親は真面目で責任感の強い人たちだったけれど、愛を言葉や行動で示すことは滅多になかった。
「愛している」と言い合う家族。ハグをする家族。お互いの話を興味深そうに聞く家族。そんな光景を、テレビや映画でしか見たことがなかった。
だから、愛するとは何をすることなのか、本当の意味でわからない。頭ではなく、心で理解していない。
愛することが怖い
実は、愛し方がわからないのは、愛することが怖いからかもしれない。
愛するということは、相手に心を開くこと。弱さを見せること。拒絶される可能性を受け入れること。
でも、愛されることだけを求めていれば、自分は安全な場所にいられる。傷つくリスクを最小限に抑えることができる。
この恐れが、愛し方を学ぶことを妨げているのかもしれない。
小さな愛し方から始める
でも、愛し方は決して難しいものではない。
相手の話を最後まで聞くこと。 相手の好きなものを覚えていること。 相手が疲れているときに、何も言わずにそばにいること。 相手の小さな変化に気づいて、声をかけること。
これらのささやかな行動が、実は愛することの始まり。
私も最初は戸惑った。「これで本当に愛していることが伝わるのだろうか」と不安になった。でも少しずつ練習するうちに、相手の表情が少し柔らかくなることに気づいた。
自分を愛することから
実は、他者を愛する前に、まず自分を愛することが大切。
自分に優しくできない人は、他者にも優しくできない。自分を大切にしない人は、他者を大切にする方法もわからない。
自分の好きなものを大切にすること。 自分の気持ちを丁寧に扱うこと。 自分の疲れに気づいて休むこと。 自分の小さな成長を認めること。
これらができるようになると、同じことを相手にもしてあげたくなる。
完璧でなくていい
愛し方に正解はない。
映画のようなロマンチックな愛し方。詩人のような美しい言葉での愛し方。料理上手な人の手料理での愛し方。
でも、あなたにはあなたなりの愛し方がある。
不器用でもいい。言葉が下手でもいい。料理が苦手でもいい。
ただ、相手のことを思う気持ちが本物なら、それはきっと伝わる。
愛は学習できる
コミュニケーション学で学んだことの一つは、人間関係のスキルは後天的に身につけられるということ。
愛し方も同じ。生まれつき愛上手な人なんていない。みんな、誰かから学んだり、経験を通して身につけたりしている。
だから今からでも遅くない。少しずつ、愛し方を学んでいこう。
与えることから始まる循環
不思議なことに、愛することを学ぶと、愛されることも多くなる。
これは打算ではない。愛を与えることができる人は、自然と人を引きつける魅力を持つようになるから。
そして何より、愛することそのものが、とても充実した感覚をもたらしてくれる。愛されることを待っているだけでは得られない、深い満足感。
今日から始められること
今日からできる、小さな愛し方がある。
家族に「お疲れさま」と声をかける。 友達の話を、スマホを見ずに聞く。 店員さんに「ありがとう」を心を込めて言う。 自分自身に「今日もがんばった」と言ってあげる。
こんな小さなことから、愛することは始まる。
愛されるために愛するのではない
最後に大切なことを。
愛することの目的は、愛されることではない。
愛することそのものが、あなたを豊かにしてくれる。あなたの心を温かくしてくれる。あなたをより人間らしくしてくれる。
もちろん、愛し合えたらそれは素晴らしい。でも、たとえ一方通行でも、愛することには価値がある。
愛されたいという気持ちは自然で美しい。でも、愛し方を知ることで、あなたの世界はもっと豊かになる。
今日から、少しずつ始めてみよう。完璧でなくていい。あなたらしい愛し方を、ゆっくりと見つけていこう。