引きこもり3年目で恋愛したくなった

引きこもり3年目で恋愛したくなった

引きこもり生活3年目に突然芽生えた恋愛願望と、その複雑な心境について

読了時間: 5分

部屋のカーテンを開けるのは、もう久しくなかった。

でも今朝、なぜか無性に外の光が恋しくなって、そっとカーテンの隙間から覗いてみた。街を歩く人たちが、なんだかキラキラして見えた。

そして思った。

私も誰かと手を繋いで歩いてみたい、と。

恋愛なんてしたくないと思っていたのに

引きこもり始めた頃は、恋愛なんて遠い世界の話だった。

人と関わることが怖くて、外に出ることが怖くて、傷つくことが怖くて。恋愛どころか、コンビニの店員さんと目を合わせることさえ避けていた。

「恋愛なんてしなくても生きていける」 「一人の方が楽」 「どうせ私なんか誰も好きになってくれない」

そう自分に言い聞かせて、3年が過ぎた。

でも最近、Netflixで恋愛ドラマを見ていて、突然胸がキュッとした。主人公が好きな人に告白するシーンで、なぜか涙が出た。

私も、こんな気持ちを味わってみたい。

引きこもっていても、心は生きている

引きこもりになったとき、自分の感情も一緒に封印したつもりだった。

でも心は生きている。どんなに部屋に閉じこもっていても、愛されたいという気持ちは消えない。誰かとつながりたいという願いは、心の奥底で静かに燃え続けている。

私は大学でコミュニケーション学を学んでいたけれど、人間関係に疲れ果てて引きこもった。皮肉なことに、人とのつながり方を学問として学んでいたのに、実際につながることはできなかった。

でも今になって思う。学んだ知識は無駄ではなかった。人との関わり方の理論を知っているからこそ、自分が何を求めているのかが見えてきた。

恋愛したい気持ちに罪悪感を感じてしまう

「引きこもりの分際で恋愛なんて」

そんな声が頭の中で響く。自分で自分を責める声。

社会復帰もできていないのに、恋愛なんて贅沢だろうか。まず働いて、普通の生活ができるようになってから考えるべきことなのだろうか。

でも待って。恋愛したいという気持ちは、人間として自然なもの。それは社会復帰とは別の次元の話。

引きこもっているからといって、恋愛する権利を諦める必要はない。

今の私を受け入れてくれる人はいるのか

でも現実問題として、今の私を好きになってくれる人はいるのだろうか。

3年間、ほとんど外に出ていない。 仕事もしていない。 社会との接点も最小限。 最後に美容院に行ったのはいつだったか覚えていない。

こんな私を、誰が愛してくれるというのだろう。

でも、ネットで知り合った人たちと話していて気づいたことがある。私の文章を「優しい」「繊細」「深い」と言ってくれる人がいる。引きこもっている間に培った内面の豊かさを、認めてくれる人がいる。

外見的な条件は確かに厳しいかもしれない。でも心の美しさは、3年間の静寂の中で磨かれたのかもしれない。

小さな一歩から始めてみよう

恋愛がしたいからといって、いきなりマッチングアプリに登録する必要はない。

まずは自分を整えることから。

シャワーを浴びる回数を増やしてみる。 鏡を見る時間を作ってみる。 好きだった洋服を着てみる。

そして少しずつ、外の世界との接点を増やしてみる。

コンビニに行くとき、店員さんに「ありがとう」と言ってみる。 散歩がてら、近所の公園のベンチに座ってみる。 オンラインでも良いから、共通の趣味を持つ人たちと話してみる。

急ぐ必要はない。自分のペースで。

引きこもりだからこそ見えるもの

実は、引きこもりの経験は恋愛においてマイナスだけではない。

人の痛みがわかる。 孤独の辛さを知っている。 表面的でない、深いつながりの大切さを理解している。

社会の中でバタバタと忙しく過ごしている人よりも、静かに自分と向き合ってきた私たちの方が、本当の愛の意味を知っているのかもしれない。

私は引きこもっている間、たくさんの本を読んだ。映画も見た。音楽も聞いた。そうやって培った感性は、きっと誰かの心に響く。

オンラインでの出会いも立派な出会い

今の時代、出会い方は多様化している。

直接会うことから始まる恋愛だけが正解ではない。オンラインでメッセージを交わし合うことから始まる関係も、立派な恋愛の形。

引きこもりの私たちにとって、文字でのコミュニケーションは得意分野かもしれない。相手の表情を読む必要がない分、自分の気持ちを素直に伝えやすい。

まずはそこから始めてみるのも良いかもしれない。

完璧になってから恋愛する必要はない

「もっと痩せてから」 「もっと稼げるようになってから」 「もっと社交的になってから」

そんな「もっと」を待っていたら、いつまで経っても恋愛できない。

今の私のままで愛してくれる人がいるかもしれない。引きこもりの私を理解し、受け入れてくれる人がいるかもしれない。

完璧な自分になる必要はない。ありのままの自分で愛される可能性を信じてみよう。

恋愛は社会復帰のきっかけにもなる

恋愛したいという気持ちは、実は社会復帰への大きな動機になる。

誰かに会いたいから外に出る。 誰かと話したいから身だしなみを整える。 誰かを喜ばせたいから新しいことに挑戦する。

恋愛が先か、社会復帰が先か。答えはない。でも、恋愛への憧れが社会との橋渡しになることは確かにある。

今日から始める小さな変化

3年間の引きこもり生活で、恋愛したいと思えるようになった自分を、まずは褒めてあげよう。

それは心が生きている証拠。希望が芽生えている証拠。

今日からできる小さなことを始めてみよう。

窓を開けて新鮮な空気を吸う。 好きな音楽をかけて、少し身体を動かしてみる。 オンラインで、同じような境遇の人たちと話してみる。

恋愛は急に始まるものではない。小さな変化の積み重ねから、新しい出会いが生まれる。

引きこもりの私たちにも、愛される資格がある。恋愛する権利がある。

その気持ちを大切に、少しずつ前に進んでいこう。きっと、あなたの優しさを理解してくれる人が待っている。