この人のためなら、何でもしてあげたい。 この人のためなら、自分のことは後回しでもいい。 この人に喜んでもらえるなら、自分の時間も、お金も、すべて使いたい。
そんな風に思える人に出会えたとき、胸の奥から込み上げてくる温かい気持ち。それは愛の最も純粋な形の一つかもしれない。
でも同時に、小さな不安も感じている。「これでいいのかな」「私、大丈夫かな」という声が、心の隅でささやいている。
愛することの喜び
誰かを心から愛するということは、本当に美しいこと。
その人の笑顔を見るために早起きして、お弁当を作る。 その人が疲れて帰ってきたときに、そっとお茶を入れてあげる。 その人の好きなものを覚えて、サプライズでプレゼントを用意する。
そんな小さな行為の一つ一つに、愛があふれている。相手の幸せが自分の幸せになる。そんな気持ちになれることは、とても尊い。
私も大学時代、初めて本気で好きになった人がいた。その人のために何かしてあげることが、自分にとって最大の喜びだった。相手が喜んでくれる顔を見ると、自分の心も満たされた。
「全て」を捧げることの意味
でも、「自分の全てを捧げる」という言葉を、もう一度考えてみよう。
愛する気持ちは素晴らしい。でも、「全て」とは何を意味するのだろうか。
自分の時間? 自分のお金? 自分の夢? 自分の友人関係? 自分の価値観? 自分らしさそのもの?
もし恋愛のために、これらすべてを手放してしまったら、果たして健全な関係と言えるだろうか。
愛と依存の境界線
純粋な愛と、恋愛依存の境界線は、意外と曖昧。
「相手のためなら何でもしたい」という気持ちが、いつの間にか「相手がいないと生きていけない」という思いに変わることがある。
「相手を喜ばせたい」という気持ちが、「相手に嫌われたくない」という恐れに変わることがある。
そして「愛を捧げる」ことが、「自分を失う」ことになってしまうことがある。
相手が本当に求めているもの
実は、多くの人が恋愛関係で求めているのは、「全てを捧げてくれる人」ではない。
むしろ、自分らしさを保ちながら、お互いを大切にし合える関係。 お互いが成長し合える関係。 一緒にいることで、それぞれがより良い自分になれる関係。
もしあなたが自分の全てを相手に捧げてしまったら、相手は何を愛せばいいのだろう。空っぽになってしまったあなたを、本当の意味で愛し続けることができるだろうか。
健全な「捧げ方」
愛する人に何かを捧げたいという気持ちは、決して間違っていない。大切なのは、その捧げ方。
時間を捧げる、でも全ての時間ではない 相手と過ごす時間は大切。でも、自分だけの時間、友達との時間、家族との時間も必要。バランスが大切。
気持ちを捧げる、でも自分を見失わない 相手のことを思う気持ちは美しい。でも、自分自身のことも大切にしよう。自分の感情や欲求を完全に抑え込む必要はない。
愛を捧げる、でも条件付きではない 「これだけしてあげたから、愛してくれるはず」という取引ではなく、見返りを求めない純粋な愛を。でも、一方的すぎる関係は健全ではない。
自分を大切にすることの重要性
自分を大切にしない人は、結果的に相手も大切にできない。
自分の心が空っぽになってしまったら、相手に愛を注ぐことはできない。自分が幸せでなければ、相手を本当の意味で幸せにすることはできない。
だから、愛する人のためにも、まず自分を大切にしよう。
自分の健康を保ち、自分の夢を追い続け、自分らしさを維持しよう。そうすることで、相手により良い愛を与えることができる。
相互の愛を育む
理想的な恋愛関係は、一方的に捧げ合う関係ではなく、相互に愛し合う関係。
あなたが相手に愛を注ぐように、相手もあなたに愛を注いでくれる。 あなたが相手のために何かしてあげるように、相手もあなたのために何かしてくれる。 あなたが相手を大切にするように、相手もあなたを大切にしてくれる。
そんなバランスの取れた関係こそが、長続きする幸せな関係。
「全て」ではなく「最善」を
愛する人に捧げたいのは、「全て」ではなく「最善」であるべき。
最善の愛とは、自分を大切にしながら相手も大切にすること。 最善の献身とは、自分らしさを保ちながら相手をサポートすること。 最善の関係とは、お互いがお互いにとって最高のパートナーになれる関係。
あなたの価値を忘れないで
あなたには、愛する人に捧げるだけの価値がある。
でも同時に、あなた自身にも愛される価値がある。大切にされる価値がある。尊重される価値がある。
恋愛は、あなたが何かを失う場所ではなく、あなたがより豊かになる場所であるべき。
愛する人に何かを捧げたいという美しい気持ちを、健全で持続可能な形で表現していこう。
そうすることで、あなたも相手も、より深く、より長く、愛し合うことができる。
あなたの純粋な愛の気持ちを、最も美しい形で育てていけますように。