「今、どんな気持ち?」と聞かれても、すぐには答えられない。
嬉しいのか、悲しいのか、怒っているのか、それとも何も感じていないのか。心の中がもやもやして、自分でも何を感じているのかわからない時がある。
そんな自分が情けなく思えることもあるけれど、実はこれは決して珍しいことではない。
感情に名前をつけるのは難しい
小さい頃は、感情はもっとシンプルだった気がする。嬉しい、悲しい、怒った、楽しい。そんな基本的な感情だけで、世界を捉えていた。
でも大人になるにつれて、感情は複雑になる。
一つの出来事に対して、複数の感情が同時に湧き起こることがある。嬉しいけれど不安だったり、悲しいけれどどこかほっとしていたり、怒っているけれど自分にも非があると思っていたり。
私も大学でコミュニケーション学を学んでいた時、「感情の言語化」について習った。でも理論を知っていることと、実際に自分の感情を理解することは全く別だった。
むしろ、知識があるからこそ「こんなにわからないなんて」と自分を責めてしまうことも多かった。
なぜ感情がわからなくなるのか
感情がわからなくなる理由はいくつかある。
一つは、感情を感じることを避けてきたから。傷つくのが怖くて、感情にフタをしてきた結果、感情を感じることが苦手になってしまう。
もう一つは、周りの期待に応えようとしすぎるから。「こう感じるべき」「こう反応するべき」という思い込みが、本当の感情を見えなくしてしまう。
そして、感情は複雑で矛盾するものだということを受け入れていないから。人間の心は単純ではない。相反する感情を同時に持つことは、とても自然なこと。
感情がない、わけではない
「自分は感情が薄いのかもしれない」と思うことがあるかもしれない。でも、感情がないわけではない。
感情は必ずそこにある。ただ、それに気づく方法がわからなかったり、それを表現する言葉を持っていなかったりするだけ。
私も長い間、自分は感情表現が苦手だと思っていた。人前で泣いたり怒ったりすることがほとんどなくて、周りからは「冷静な人」と見られていた。
でも実際は、感情を感じることが怖くて、無意識のうちに抑え込んでいただけだった。心の奥では、たくさんの感情が渦巻いていた。
体で感じる感情
感情は頭で理解するものだけではない。体で感じるものでもある。
胸がきゅっと締め付けられるような感覚。 お腹の底がじんわりと温かくなる感じ。 肩に力が入って、呼吸が浅くなる状態。 なんとなく体が重たい感じ。
これらの体の反応も、感情の大切なサイン。頭でわからない時は、体の声に耳を傾けてみる。
私も最初は戸惑った。でも少しずつ、自分の体の反応に注意を向けるようになって、感情を捉えやすくなった。
感情に正解はない
「こんな時は悲しむべき」「こんな時は怒るべき」といった感情の正解はない。
人それぞれ、感じ方は違う。同じ出来事でも、人によって反応は全く異なる。それは当たり前のこと。
自分の感情を、他の人の反応と比較する必要はない。あなたの感情は、あなただけのもの。正しいも間違いもない。
ゆっくりと向き合う
感情を理解するのに、急ぐ必要はない。
今日わからなくても、明日もわからなくても、それでいい。感情と向き合うのは、一生かけて続けていくプロセス。
私も今でも、自分の感情がよくわからない時がある。でもそれを責めるのではなく、「今はまだわからないんだな」と受け入れるようにしている。
時間をかけてゆっくりと向き合っていれば、きっと少しずつ見えてくる。
感情日記をつけてみる
具体的な方法として、感情日記をつけてみるのもおすすめ。
その日あった出来事と、その時どんな感じがしたかを、簡単に書いてみる。最初は「なんとなくもやもやした」「胸がざわざわした」といった曖昧な表現でもいい。
続けていくうちに、自分の感情のパターンが見えてくることがある。どんな時にどんな感情が湧きやすいか、自分なりの傾向がわかってくる。
一人で抱え込まなくてもいい
感情がわからない時、一人で抱え込む必要はない。
信頼できる友達に話してみたり、カウンセラーに相談してみたり。他の人と話すことで、自分の感情が整理されることもある。
「こんなことで相談するなんて」と思う必要はない。感情について話すのは、とても自然で大切なこと。
あなたのペースで大丈夫
感情がよくわからない自分を、責める必要はない。
それは感受性が乏しいからではなく、むしろ複雑で繊細な心を持っているから。そして、これまで自分の感情を大切に扱ってこなかったから。
でも、気づいた今からでも遅くない。
自分の感情と仲良くなるのに、遅すぎるということはない。あなたのペースで、あなたなりの方法で、少しずつ自分の心と向き合っていこう。
感情がわからない時があってもいい。それも、あなたらしさの一部。
完璧に感情を理解する必要はない。ただ、自分の心を大切にして、優しく見守ってあげれば、それで十分。
今日も、そんな自分を受け入れながら、一歩ずつ歩んでいこう。